千葉市から船橋市、市川市あたりは、古代から戦国時代にかけて「千葉氏」が勢力をのばしていた下総の国になります。
今回は、千葉氏ゆかりの千葉寺や千葉神社、また船橋大神宮、法華経寺など、千葉から船橋、市川に至る古刹を巡る旅を紹介します。
千葉寺
千葉寺は、京成電鉄千原線の千葉寺駅から徒歩10分程度の千葉市中央区にある真言宗豊山派の
寺院です。山号は海上山、本尊は十一面観音、坂東三十三所観音霊場の29番札所になっています。
寺の紹介によりますと、創建は和銅2年(709)、行基がこの地を訪れた時、池の中に咲く
千葉(幾重にも花弁が重なっている意)の大青蓮二輪に霊意を感じ、観音像を安置したのが
始まりになるそうです。
その後、聖武天皇の勅命により“千葉寺”と称するようになったそうです。
“千葉”の地名の発端にもなった古刹と言えそうです。
千葉の豪族「千葉氏」の居城“千葉城”に近いことから千葉氏の祈願所ともなっていたそうです。
本堂(写真上)の前に立っている大銀杏は、樹高が30メートル超、幹廻が8メートル
というもので、樹齢は1,000年といわれ、県の天然記念物に指定されています。
千葉神社
千葉神社は、千葉駅から徒歩10分程度の千葉市中央区にある神社で、主祭神に通称『妙見様
(みょうけんさま)』と呼ばれる“北辰妙見尊星王”(天之御中主大神)を祀っています。
社の紹介によりますと北辰妙見尊星王は、「天の中央を定位とする北辰(つまり北極星と
北斗七星)の御神霊であり、諸星諸神・方位方角を支配する尊い星の王」であり、人間の星
(=人間の運命)や全ての方位を守護・掌握する神様であると古来より伝えられているそうで、
厄除・開運、八方除などに高い御利益があるそうです。
社の由緒によりますと、創建年は不詳と言うことですが、千葉の地を治めた千葉氏が代々
“妙見尊”を一門の守護神として崇めてきたそうです。
現在の地には、千葉家三代忠常により分霊が祀られ、その後、覚算大僧正により伽藍が整備
され、長保2年(1000)『北斗山金剛授寺』なる寺号を朝廷から賜り中興開山となったそうです。
そして千葉家七代常重により大治元年(1126)に、御本霊が千葉城から遷され、 以後、厄除開運・
八方除・身上安全の守護神である妙見様の本宮として尊崇されてきたそうです。
明治の神仏分離令により、『千葉神社』と改称し今日に至っているそうです。
社殿(写真上)は、平成2年(1990)に再建されたもので、上下に二つの拝殿を有する我が
国初の重層社殿になっていて、重厚感を感じます。
下の写真は、楼門型の分霊社「尊星殿」です。これは神社建築では類例のない楼門と社殿の
複合建築物になっています。
千葉神社では、星の神様である本尊”北辰妙見尊星王”にちなんで、北極星と天の川?を
あしらったとてもきれいな御朱印帳を販売していました。
船橋大神宮 (意富比神社)
船橋大神宮は、千葉県船橋市、京成本線大神宮下駅から徒歩3分の所にある神社です。
正式名称を「意富比神社」といい、天照皇大神を主祭神としています。
社の由緒によりますと、創建は景行天皇40年と言われています。日本武尊が東征の
折に当地で東国平定の成就と干天に苦しんでいた住民のために天照大神を祀り、祈願
したのに始まるそうです。
現在の社殿(写真下)は、明治維新時の船橋の戦いで焼け、明治時代に再建されたものだそうです。
法華経寺
法華経寺は、京成本線中山駅から徒歩で5分程度、市川市中山にある日蓮宗の大本山
となる寺院です。山号は正中山、本尊は高祖“日蓮聖人”と“鬼子母神”になります。
鎌倉時代の中頃、千葉氏に仕えていた富木常忍(出家し日常上人)が日蓮聖人に帰依
し法華寺を創建、また太田乗明が創建した本妙寺、この2寺が合寺して、永享3年
(1431)頃に、新しい法華経寺となったそうです。
仁王門(写真上)を入ればその先に、重要文化財に指定されている大祖師堂や朱に
塗られた五重の塔などが見えてきます。広い境内に並ぶ伽藍、名刹の風情が感じられます。
大祖師堂(写真上)から大仏を右に見て、左手に荒行堂が見えれば、正面が本院、
その中に鬼子母神堂(写真下)があります。
こちらの鬼子母神像は、日蓮聖人自らが彫られたもので、“なかやま鬼子母神”と
言われ、江戸三大鬼子母神の一つに数えられています。
いただいた御朱印は、“大祖師堂”と“鬼子母神”の二つになります。