妙心寺 御朱印めぐり
この記事では、京都市花園にある臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺と塔頭寺院を巡る御朱印めぐりを紹介しています。
妙心寺
妙心寺は、京都市花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院です。
山号は正法山、本尊は釈迦如来です。開基は花園天皇、開創年は建武四年(1337)になります。
寺の案内によりますと、この地域には公卿の邸が多く、お花畑があって、四季折々に美しい花が咲き乱れ、
いつしか「花園」と呼ばれるようになったそうです。 第95代天皇、花園法皇は、この地をこよなく愛し
ここに離宮を構えていましたが、禅の奥義を究めるとともに世の中の平和を願われ、この花園の離宮を改
めて禅寺にされたそうです。これが、妙心寺のはじまりになります。
現在の妙心寺は、塔頭46寺、末寺は日本をはじめ世界各国にわたり3,400寺におよぶ大寺院です。
花園高校などの学校は関連機関になります。
開山堂は室町時代、勅使門(写真上)は桃山時代に建てられたものですが、三門、仏殿、法堂(下写真順に)
などの中心伽藍は江戸時代に再建されたものです。
下は、三門になります。
下の写真は仏殿です。
下は、大方丈になります。
妙心寺の御朱印は、本尊の『釈迦如来』になります。
退蔵院
妙心寺の周囲(境内)には多くの塔頭寺院が建ち並び、一大寺院群を形成していています。
その一つが、勅使門の近くにある史跡・名勝の庭で知られる退蔵院です。
退蔵院は、1404年、越前の豪族波多野出雲守が、妙心寺第三世無因禅師を開山として創建した寺になります。
方丈の庭園は、狩野元信の作として知られ、室町時代を代表する枯山水庭園です。
南庭は、「余香苑」と名付けられ、巨岩の間から流れ落ちる龍王の滝が見事な景観をつくっています。
いただいた御朱印には、南庭の名称の「余香苑」と書かれていました。
長興院
長興院(ちょうこういん)は、妙心寺境内の東側にある塔頭寺院です。本尊は釈迦如来になります。
創建は1581年、織田信長の家臣、滝川一益によって開かれた寺になるそうです。
下は玄関内から見た本堂前の庭になります。
そして本堂になります。
いただいた御朱印は二つです。
一つは長興院メインの御朱印、「阿羅漢」になります。阿羅漢とは仏さまのこと、悟りを得て人々の尊敬
と供養を受ける資格を備えた人になります。
二つ目は、本堂「大雄殿」を禅宗の開祖;達磨大師の絵入り、見開きでいただきました。
大心院
大心院(だいしんいん)は、妙心寺境内の東側にある塔頭寺院です。本尊は十一面観音になります。
創建は15世紀末、足利幕府管領、細川政元(ほそかわまさもと)の創建と伝えられています。
いただいた御朱印には、「大哉心乎」と書かれていました。
“大いなる哉(かな) 心(しん)や”これは、臨済宗の開祖と言われる栄西禅師が書かれた興禅護国論
の序文の中の四文字だそうです。そのまま読みますと「人の心は本来大きく、大らかである」、これに
は仏の深い意味も込められているようです。
桂春院
桂春院(けいしゅんいん)は、妙心寺境内の北東側にある塔頭寺院です。本尊は薬師如来像になります。
創建は慶長三年(1598)、織田信忠の次男、織田秀則により建てられた寺院です。
桂春院は、江戸時代に造られた庭園の見事さで知られています。
いただいた御朱印には、「本尊 薬師如来」と書かれていました。
天球院
天球院(てんきゅういん)は、妙心寺境内の北側にある塔頭寺院です。本尊は釈迦如来になります。
創建は江戸時代初めの寛永八年(1631)、岡山藩主池田光政の建立になるそうです。
天球院は、加納山楽や山雪の襖絵で知られています。
いただいた御朱印には、「釈迦如来」と書かれています。
大法院
大法院(だいほういん)は、妙心寺境内の西側にある塔頭寺院です。
創建は寛永二年(1625)、真田信之の孫にあたる長姫が、信之の菩提寺として創建した寺になるそうです。
露地庭園(茶室に付随する庭)が美しいことで有名ですが、通常は非公開です。春の新緑と秋の紅葉の時期
に限定して、特別公開されます。
いただいた御朱印には、「楓林晩」(ふうりんくれ)と書かれています。寺の案内によりますと、「楓林晩」
とは、唐の杜牧の詞にある言葉だそうです。全文は省略しますが、秋の楓の紅葉は、春の花のように美しく、
愛でずにはいられないと、紅葉の見事さを詠った詩になるようです。
秋限定の御朱印かもしれません。