中山道 永昌寺・光徳寺・定勝寺・臨川寺 馬篭・妻籠 御朱印めぐり
この記事では、岐阜県中津川市馬籠から長野県木曽、妻籠宿、そこから上松町に至る中山道沿いの寺院を
巡る御朱印めぐりを紹介しています。
永昌寺
永昌寺(えいしょうじ)は、中山道の馬籠宿、岐阜県中津川市馬籠にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
本尊は釈迦如来になります。
永昌寺は、中山道馬篭宿の街道沿いから100メートルほど入った高台に建っています。
下は、永昌寺にほど近い馬篭宿の様子になります。
下の写真は、馬篭峠付近の中山道です。
創建は永禄元年(1558)、島崎重綱が馬籠に移住した際、島崎家歴代の菩提寺として開かれたのが
始まりになるそうです。
明治時代から昭和初期にかけて小説家として活躍した島崎藤村は、島崎家の後裔になるそうです。
小説「夜明け前」に登場する「万福寺」は、永昌寺をモデルにしているそうです。
本堂は寛政年間(1789~1801)に再建されたものになります。
いただいた御朱印には、本尊の「釈迦如来」が書かれていました。
光徳寺
光徳寺は、妻籠の宿、長野県木曽郡南木曽町吾妻にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
馬篭宿から中山道を歩いてきますと下の写真の奥から手前に向かってくることになります。
山号は瑠璃光山、本尊は薬師如来になります。
創建は明応九年(1500)、悟渓和尚によって開かれたそうです。妻籠宿の中心の高台に位置し、
妻籠宿の防衛の要として配されたという説もあるそうです。
下の写真は、光徳寺にほど近い妻籠宿の様子です。
いただいた御朱印は二つです。
一つ目は、「本尊薬師如来」をいただきました。
二つ目は、木曽七福神の一つ「恵比寿尊」の御朱印をいただきました。
臨川寺
臨川寺(りんせんじ)は、木曽郡上松町にある臨済宗妙心寺派寺院です。山号は寝覚山、本尊は弁財天
になります。
木曽七福神の一つになります。
臨川寺は、“浦島太郎伝説”が残る寺として知られています。
観光案内によりますと、浦島太郎は竜宮城からもどりましたが、知人もおらず、旅に出ることにした
そうです。その途中、木曽川の風景の美しいこの地にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫様
からもらった玉手箱をあけたそうです。玉手箱からは白煙が出、太郎は白髪の翁になってしまう。
浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように感じ
たそうです。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち
「寝覚の床」と呼ぶようになったということです。
境内からは、浦島太郎伝説が残る花崗岩の造形が広がる“寝覚の床”が一望できます。
下の写真は、本尊の弁財天を祀る弁天堂になります。
臨川寺は木曽七福神の札所になっていて、「大弁財尊天」の御朱印をいただきことができます。
境内から5分ほど降りていきますと木曽川の流れ、“寝覚の床”に着きます。
寝覚の床の一段高くなった所には、浦島堂(写真下)が建っています。
「浦島堂」の御朱印もいただくことができます。
定勝寺
定勝寺(じょうしょうじ)は、木曽郡大桑村にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は浄戒山、
本尊は釈迦如来になります。木曽町の興禅寺、長福寺とともに木曽三大寺のひとつに数えられています。
創建は嘉慶年間(1387~1388)、木曽氏により創建されたと伝わっています。
現在の堂宇は、江戸時代前に建立されたもので、山門(写真上)、本堂(写真下)、庫裏は、国の
重要文化財に指定されています。
下は庫裏、そして庫裏前に広がる庭園の写真です。
いただいた御朱印は二つです。
一つは、本尊の「南無釈迦如来」と書かれていました。秋の御朱印、紅葉がきれいでした。
二つ目は、木曽七福神霊場、「布袋尊」の御朱印をいただきました。