鶴岡八幡宮から杉本寺・浄妙寺 御朱印めぐり
”鶴岡八幡宮”から坂東三十三観音霊場第一番札所の“杉本寺”、鎌倉五山の一つ“浄妙寺”まで、県道204号を朝比奈インター方面へ足を延ばすコースです。途中、鎌倉宮、荏柄天神社へ立ち寄ります。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は、鎌倉駅から徒歩で5分程度の所にある“日本三大八幡宮”の一つに数えられる
事もある神社です。
鶴岡八幡宮は、1063年、源頼義が源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都
の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりだそうです。
その後、鎌倉に入った源頼朝が、1180年、由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷されたと
伝えられています。
1219年1月、3代将軍実朝が、雪化粧の鶴岡八幡宮石段の砌、大銀杏の近くで、甥の公暁に
28歳で暗殺されたところが下の写真の階段になります。
鶴岡八幡宮の御神木、大銀杏は、樹齢1000年といわれていましたが、平成22年3月10日、
雪混じりの強風によって倒れてしまったことはニュースで御存じのとおりと思います。
現在は、写真のように幹の下の部分だけが生きたまま近くに移され保存され、大銀杏が
もともとあった所にも新たな芽が伸びてきているようです。
鎌倉宮
鎌倉宮は、鶴岡八幡宮から東へ徒歩10分程度の所にある神社です。
鎌倉幕府を倒し建武の中興(1333)を実現した後醍醐天皇の皇子“護良親王”を祭神
として祀る神社です。護良親王は、一緒に鎌倉幕府を倒した足利尊氏との対立により、
捕えられ現在の鎌倉宮の境内にあった東光寺に幽閉され、建武2年(1335)足利尊氏
の弟である直義の命で殺害されています。
本殿の裏には、9か月もの長い間、閉じ込められていたという『土牢』が残っています。
神社の創建は明治2年(1869)、明治天皇が建武の中興に尽力した親王の功を賛え、東光寺
の跡地に、護良親王を祀る神社の造営を命じられ、『鎌倉宮』の社号が下賜されたそうです。
拝殿横から本殿の裏側を回る小道は、“神苑 山あじさい散歩道”と称され、“額あじさい”
など小粒な花を咲かす “山あじさい”が可憐な花を咲かせていました。
荏柄天神社
鎌倉宮から徒歩2分、すぐ近くにあるのが菅原道真公を祭神として祀る荏柄天神社です。
社の由緒によりますと、創建は長治元年(1104)と古く、関東を中心に各地に分社をもち、
福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社になるそうです。
また鎌倉幕府を開いた源頼朝は、当社を鬼門の守護神と仰ぎ、社殿が造立されたそうです。
境内には、“絵筆塚”があり、漫画家により河童のレリーフが刻まれた塔が奉納されていました。
いただいた御朱印には、きれいな梅の花が押されていました。
杉本寺
鶴岡八幡宮から東の朝比奈方向へおよそ1,200メートル、20分ほど歩くと道の左側に、
天台宗のお寺、杉本寺の山門が見えてきます。
杉本寺は、734年に行基が、十一面観音を安置して創建したのに始まると伝えられています。
“吾妻鏡”には、杉本寺が隣家からの火災により類焼を受けた際、御本尊自ら境内の大杉の下に
火を避けられたことが書かれていて、杉の本の観音、”杉本観音”と呼ばれるようになったという
ことです。
杉本寺は、坂東三十三観音霊場、第一番札所であり、鎌倉最古の寺院になります。
いただいた御朱印には、観音様のいらっしゃるお堂“十一面大悲殿”と御詠歌を見開きで
いただいてきました。
御詠歌には、『たのみある しるべなりけり 杉本の ちかひはすへの 世にもかわらじ』
と書かれています。「信心の心さえあれば、観音さまが末永く見守ってくれている」という
温かい気持ちになれる御詠歌です。
浄妙寺
杉本寺から、さらに朝比奈方向へ300メートルの所にあるのが、鎌倉五山第五位の寺格
を持つ浄妙寺です。浄妙寺は、頼朝の重鎮、足利義兼が行勇律師を開山として、1188年
に建立した臨済宗建長寺派の寺院になります。
山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来になります。
室町時代は、境内に23の塔頭を持つ大寺院で、僧が一同に茶を喫した“貴泉庵”があった
そうで、平成に入りこれを復興、新しくできた貴泉庵で抹茶をいただくことが出来るそ
うです。 写真は、貴泉庵の庭である枯山水を写したものです。庭の一角には”蝋梅”が
きれいに咲いていました。
いただいた御朱印には、鎌倉三十三観音第9番札所としての“聖観世音”と書かれていました。