元善光寺・長岳寺・瑠璃寺・松源寺・開善寺 飯田市・下伊那地域 寺院 御朱印めぐり
この記事では、長野県高森町から飯田市、そして阿智村に至る寺院御朱印めぐりを紹介しています。
瑠璃寺
瑠璃寺(るりじ)は、下伊那郡高森町にある天台宗の寺院です。
山号は大嶋山、本尊は薬師瑠璃光如来三尊佛になります。
寺の案内によりますと、創建は天永三年(1112)、比叡山竹林院の観誉僧都がこの地に入り、
仁王山の間の洞の樹間に出現した薬師如来に感激し、創建した寺だそうです。
下は、本尊の薬師瑠璃光如来三尊佛を安置する薬師堂(本堂)になります。
下は、観音堂になります。
なお、境内には、源頼朝の寄進という枝垂れ桜の大木があり、県の天然記念物に指定されています。
いただいた御朱印は三つです。
一つは本尊の「薬師瑠璃光如来」になります。
二つ目は、観音様「聖観世音」の御朱印をいただきました。
三つ目は、境内に建つ瑠璃の里会館に祀られている「薬師猫神」の御朱印です。
この地方では、養蚕が盛んであったころ、大事なお蚕様をねずみから守ってくれる猫を「猫神様」として大切に扱っていたそうです。瑠璃寺では本尊の薬師如来の化身として「猫神様」を祀っているそうです。
松源寺
松源寺は、下伊那郡高森町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は雲竜山、本尊は釈迦牟尼仏になります。
創建は永正八年~十年頃(1511~1513)、この地を治めた松岡家の菩提寺として建立されたようです。
境内一帯は松岡城址(写真下)、伊那谷をはさみ東側には南アルプスの山並みが広がっています。
2017年のNHK大河ドラマ、“女城主;直虎”こと井伊直虎のいいなづけだった井伊家23代当主;
井伊直親(幼名;亀之丞)が、20歳までの12年間過ごした寺になります
山門は、延享三年(1747)に再建されたものです。
本堂は、明治三十三年(1900)に再建されたものです。
鐘楼には、この地域の名物、干し柿がつるされていました。
いただいた御朱印は二つです。
一つ目は、本尊の「南無釈迦牟尼仏」になります。
二つ目は、井伊直親(幼名;亀之丞)の思いがこもった「望郷」の御朱印になります。
元善光寺
元善光寺(もとぜんこうじ)は、飯田市座光寺にある天台宗の寺院です。山号は定額山、
本尊は善光寺如来になります。元善光寺と称される前は坐光寺(ざこうじ)と呼ばれていて、
現在も地名にその名を残しています。
創建は、推古天皇の御代(602)、この地の住人、本多善光公が難波の堀で阿弥陀如来(善光寺如来)
を見つけ持ち帰り、お祭りしたのが始まりだそうです。
その後、阿弥陀如来のお告げにより本尊は長野に遷座され、本多善光公の名を取って、“善光”をとって
善光寺と名付けられたそうです。そして坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになったそうです。
長野の善光寺同様に、元善光寺でも本堂(写真上)内で“お戒壇巡り”をすることができます。お戒壇巡りとは、
仏様の体内巡りともいい、暗闇の中を手探りで進み、御本尊の真下に位置する「御錠前」に触れる
ことで仏様と、より深いご縁を結ぼうというものです。
いただいた御朱印には、「元善光寺」と書かれていました。
開善寺
開善寺(かいぜんじ)は、飯田市上川路にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
山号は畳秀山、本尊は聖観音菩薩になります。
創建は建武二年(1335)になるそうです。
山門は、室町時代の建立で、国の重要文化財に指定されています。
下は本堂になります。
いただいた御朱印には、「本尊聖観世音」と書かれていました。
長岳寺
長岳寺(ちょうがくじ)は、長野県下伊那郡阿智村駒場にある天台宗の寺院です。
山号は廣拯山、本尊は十一面観音になります。
創建年などは不詳のようですが、伝教大師最澄により開かれた古刹になります。
長岳寺は、武田信玄公を火葬にした寺として知られています。信玄公は、天正元年、三河からの帰路、
阿智村駒場の山中で病死したと伝えられています。
昭和49年、信玄公400年祭の折、火葬塚より火葬灰を境内に移し、信玄公の供養塔として十三重塔(写真下)
が建立されたそうです。
下は本堂になります。本堂内の春夏秋冬それぞれを描いた見事な襖絵は必見です。
いただいた御朱印は二つです。
一つは、本尊の観音様「大悲殿」になります。
二つ目は、薬師如来「瑠璃殿」になります。