中野不動尊、医王寺、文知摺観音、福島稲荷神社 福島市 御朱印めぐり
この記事では、福島県福島市にある寺社を巡る、御朱印めぐりを紹介しています。
中野不動尊 大正寺
中野不動尊(なかのふどうそん)は、福島市飯坂町中野にある曹洞宗の寺院です。
山号は中野山、寺名は大正寺といいます。日本三大不動尊のひとつに数えられ、昔から「中野のお不動様」
として親しまれてきた寺です。
日本における六三除けの祈祷発祥の地といわれています。
三不動には、もう一つ意味があり、本堂に祀られている厄除不動明王・祈祷殿に祀られている眼守不動明王
そして奥ノ院の洞窟内に祀られる三ヶ月不動明王の三不動明王が祀られています。
寺の由緒によりますと、治承三年(1179)、恵明道人が一匹のカモシカに導かれ、未踏の地であったこの地に入り、
山神のお告げにより三ヶ月不動明王を祀ったのが始まりになるそうです。
下の写真は、眼守不動明王が祀られている祈祷殿になります。
下は、大日堂になります。
大日堂の右隣には、不動滝が流れています。
大日堂の下から奥ノ院洞窟めぐりをすることができます。洞窟内には三ヶ月不動明王が祀られています。
不動滝に向かい右手側は、洞窟めぐりの最東端には唐風重層の寂光門があります。
下は大正寺本堂になります。
いただいた御朱印には、「中野不動尊」と書かれていました。
医王寺
医王寺(いおうじ)は、福島市飯坂町平野にある真言宗豊山派の寺院です。
山号は瑠璃光山、本尊は、大日如来と薬師如来になります。薬師如来は弘法大師の作と伝えられています。
平安時代に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺です。
寺の案内によりますと、佐藤基治公の息子継信、忠信兄弟は源義経に付き従い、のちの戦いで二人は義経の
身代わりとなり壮絶な最後を遂げたそうです。二人の息子を失い悲しみにくれる老母乙和の姿を見ていた
継信の妻「若桜」と忠信の妻「楓」は、乙和の悲しみを慰めようと夫の武者姿に扮したという悲しくも美しい
話が残っていて、その優しくて気丈な武士の妻二人の人形が本堂(写真下)にまつられています。
元禄二年(1689)、『奥の細道』の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も
さつきに飾れ 紙のぼり」と詠んだそうで、その句碑が本堂の前に建っています。
下の像は、佐藤継信、忠信兄弟、そして中央は源義経になります。
奥ノ院に建つ薬師堂(写真下)には、薬師如来が安置されています。
いただいた御朱印には、「薬師如来」と書かれていました。
飯坂町鎮守 八幡神社
飯坂町鎮守八幡神社は、福島市飯坂町字八幡にある神社です。
祭神は、八幡大神;誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、そして玉依姫命になります。
社の由緒によりますと,創建年は不詳とのことですが、平安時代後期の天喜四年(1056)、後三年の役で
奥州に出陣した源義家が、この地にさしかかった時、源氏の白旗が大空に翻るかの様な空に長くたなびく
八条の雲を見て、義家は守護神の八幡大神が戦勝の験として示されたものと信じ、必勝祈願のために勧請
したと伝わるそうです。
毎年10月初旬に行われる礼大祭は「けんか祭り」と呼ばれ、大阪・岸和田の「地車祭り」、秋田・角館の
「飾山ばやし」とともに“日本三大けんか祭り”の異名をとるそうです。屋台同士がぶつかる様を「けんか」
と呼んでいるのだそうです。
福島稲荷神社
福島稲荷神社(ふくしまいなりじんじゃ)は、福島市宮町にある神社です。
主祭神は、伊勢神宮の外宮の神;豊受比売命になります。
社の由緒によりますと、創建は平安時代の永延元年(987)、当時朝廷に重用された陰陽道で知られる安倍晴明が、
詔を奉じて奥羽下向の際にこの地に差し掛かり、将来大いに有望な地相であるとしてここに社を建て、衣食住
を司る豊受比売大神を勧請し、この里の総鎮守としたことに始まるそうです。
絵馬殿は、福島市最古(元禄五年;1652)の木造建築物で旧拝殿になるそうです。
下は、昭和になって再建された拝殿になります。
福島県護国神社
福島県護国神社は、福島市の信夫山にある戊辰戦争から第二次世界大戦までの英霊を祀る神社です。
創建は明治十二年(1879)、相馬・三春・若松の三か所にあった招魂場に祀られていた戊辰戦争従軍者と、
これらに祀られていなかった同戦争の従軍死者、及び西南戦争で戦死した管内の戦死者を合祀し、官祭
信夫山招魂社として創建したことに始まるそうです。
信夫山天満宮
福島県護国寺神社の境内社に建つ信夫山天満宮は、昭和六十三年に、太宰府天満宮から分霊を勧請したものになります。
護国神社の方で、こちらの御朱印もいただくことができます。
文知摺観音 普門院
文知摺観音(もちずりかんのん)普門院は、福島市山口字寺前にある曹洞宗の寺院です。
安洞院が長らく別当をつとめてきた文知摺観音は、平成28年10月に、安洞院16世俊邦和尚が開山となり、
新寺・普門院として新たな法人格を取得し、独立した宗教法人になったそうです。
入口には、芭蕉の像も建っています。
かつてこの地は、綾形石の自然の石紋と綾形、そしてしのぶ草の葉形などを摺りこんだ風雅な模様の
「しのぶもちずり絹」の産地であったそうです。その名残、境内にある“文知摺石”(写真下)は、
都からの按察使、源融と長者の娘・虎女の悲恋物語の舞台を伝えているそうです。
「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれ染めにし 我ならなくに」と河原左大臣、源融(みなもとのとおる)
が詠んだ小倉百人一首の歌枕の地になるそうです。
“あの陸奥のしのぶもちずりの乱れ模様のように、私の心は乱れていますが、だれのせいでしょう。あなたのせいなのですよ”と、融が遠く離れた都で、虎女との恋の思いに心乱れている様子が、詠まれているそうです。
そういえば、源融は源氏物語の主人公;光源氏のモデルとも言われている人です。
下は、観音堂になります。
境内には、多宝塔も建っています。
いただいた御朱印には、「南無聖観世音」と書かれていました。
大蔵寺
大蔵寺(だいぞうじ)は、福島市小倉寺にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
山号は宝城山、本尊は千手観音になります。 通称、小倉寺観音(おぐらじかんのん)と呼ばれています。
なお行基作と言われる一本のかやの木から作られた高さ4mの千手観音は、国の重要文化財になっています。
春には樹齢300年といわれる「枝垂れ桜」や「稚児桜」と呼ばれる伝説の残る桜が、美しい花を咲かせるそうです。
下は本堂になります。
下は観音堂になります。
いただいた御朱印には、「千手観世音菩薩」と書かれていました。
鳥渡観音寺
鳥渡観音寺は、福島市上鳥渡字観音寺にある天台宗の寺院です。山号は、瀧寿山になります。
観音寺は比叡山延暦寺の直末寺として、1150年の歴史を持っているそうです。
五重塔永代供養塔は、後継者がいない、迷惑をかけたくない方を納骨から引き受け、永代供養を司る殿堂になります。
下は、観音堂になります。
下は本堂になります。
いただいた御朱印には、「阿弥陀三尊」と書かれていました。