円覚寺・建長寺・明月院・円応寺・鶴岡八幡宮 御朱印めぐり
鎌倉観光の定番コース、北鎌倉から円覚寺、建長寺、そして鶴岡八幡宮へと向かうコースです。
途中アジサイの名所の明月院、鎌倉五山の一つ寿福寺など見どころが多いコースですが、3~4時間ほどあればお参りできるかと思います。
円覚寺
古都鎌倉の風情を感じさせる北鎌倉の駅を降りるとすぐ目の前が、鎌倉五山第2位の
臨済宗大本山、円覚寺です。弘安5年(1282)、北条時宗が、中国から無学祖元禅師
を招き、禅の普及と蒙古襲来による殉死者を供養するために建てたのが始まりです。
北条時宗の墓も、こちらにあります。
円覚寺入口の階段を上ると、夏目漱石の小説“門”の舞台ともなった二階建ての三門になります。
三門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の執着を取り払って佛殿(涅槃・
解脱)に至る門とされています。
神経衰弱になった主人公“宗助”が悟りを開こうと三門をくぐり参禅したが、結局運命の力にか
なわず三門を後にした様子がしのばれます。
これは、大学時代に漱石自身が円覚寺で参禅を経験したことが土台になっているとのことです。
三門をくぐると広い境内の中に仏殿、方丈と続いていきます。仏殿(写真下)は、本尊である
釈迦如来を祀ってあり、冠をかぶっているので“宝冠釈迦如来”と呼ばれているそうです.
いただいた御朱印にも“宝冠釈迦如来”と書かれていました。
毎年11月初旬に、宝物風入が行われ、この期間だけは国宝である舎利殿が公開され、
期間限定の舎利殿の御朱印をいただくことができます。
いただいた御朱印には「舎利瞻礼」と書かれています。お釈迦様のお骨を、ありがたく
仰ぎ敬うという意味になるのではと思います。
明月院
円覚寺から北鎌倉の駅を背に400メートルほど行きますと、まっすぐ行けば建長寺、
左へ入れば明月院へと道が分かれます。この北鎌倉の風情を感じる道を途中、葉祥明氏
の美術館を左に見ながら300メートル程行くと、明月院に着きます。
明月院は、臨済宗建長寺派の寺院で、山号は福源山、本尊は聖観世音菩薩になります。
応永元年(1394)、関東管領であった上杉憲方が創建した寺になります。
御朱印をいただける方丈の前にある枯山水は、禅宗を感じさせる凛としたた
たずまいを見せていました。
いただいた御朱印には、本尊の“聖観世音菩薩”と書かれています。
明月院は、別名“あじさい寺”とも呼ばれ、毎年6月になりますと、参道は紫陽花を
一目見ようとする観光客で長蛇の列が出来る寺です。下の写真は、山門、方丈に
通じる鎌倉石が敷き詰められた参道に茂るあじさいの写真です。
建長寺
建長寺は、建長5年(1253)北条時頼の時代に、中国の宋からの渡来僧、大覚禅師によって
開かれた臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山寺格第一位に位置づけられています。
山号は巨福山(こふくさん)、本尊は地蔵菩薩になります。
建長寺は日本で初めて禅の道場が開かれた寺で、往時は千人を越す雲水が修行していた
と伝えられるわが国最初の禅寺です。
境内は、三門、仏殿、法堂、方丈などが一直線に並んでいますが、これは禅宗伽藍の典型
と言われるものです。下の写真は、仏殿、法堂、方丈の庭になります。
私も、社会人一年目の新人研修でこの建長寺に一泊し、座禅を組ませていただいた
経験があります。龍王殿に座れば、あの座禅中、”警策”という棒板で打たれる時の凛とした気持
ちが懐かしく感じられる次第です。
ちなみに座禅者の肩を打つ警策は、「文殊菩薩の手の代わり」になるものだそうです。
建長寺では、龍王殿で、毎週金曜、土曜の夕方、誰でも参加できる無料の座禅会が開らかれていますので、
興味のある方にはおすすめします。
鎌倉に息づく禅宗の精神風土、“無”や“空”の世界をのぞくことができるかもしれません。
いただいた御朱印には、本尊である地蔵菩薩様に帰依しますと言う意味の
“南無地蔵菩薩”と書かれていました。
円応寺
円応寺(えんのうじ)は、から建長寺から徒歩2分、鶴岡八幡宮に向かう右手高台、鎌倉市山ノ内にある
臨済宗建長寺派の寺院です。
山号は新居山、本尊は木造の閻魔王坐像(運慶作)になります。
創建は建長二年(1250)、開山は桑田道海(智覚禅師)になるそうです。
重要文化財に指定されている鎌倉時代作の閻魔大王像を中心に、冥界の十王の像が安置されている寺として
知られています。十王とは人が死後に冥界で出会う十人の王のことになります。その中心になるのが閻魔様で、
亡者が天上や地獄など六道のどこに生まれ変わるかを決定する役割を担っていると言われています。
いただいた御朱印には、「十王」と書かれていました。
寿福寺
円応寺から鎌倉方向に進み、トンネルを抜けて300メートルほどで鶴岡八幡宮
の裏手に出ます。今回はさらに200メートルほど先へ進み、交差点を右折して、川喜多
映画記念館の前を通り、JR横須賀線の踏切を越えると直に鎌倉五山第三位の寺格を持つ
寿福寺に立ち寄ります。
寿福寺の本尊は釈迦如来、創立者は北条政子、開山は京都の建仁寺の開山者でもある栄西で、
境内には北条政子や源実朝の墓もあるそうですが、拝観は不可になっていました。
下の写真は、本堂になります。
いただいた御朱印には、“南無釈迦牟尼佛”と書かれています。釈迦牟尼仏は釈迦如来
のこと、すなわちお釈迦さまになります。
平たく言えば「お釈迦さまに帰依します」と言うことかと思います。
鶴岡八幡宮
寿福寺から、来た道を5,6分戻りますと鶴岡八幡宮につきます。
鶴岡八幡宮は、1063年、源頼義が源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した
京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりだそうです。
その後、鎌倉に入った源頼朝が、1180年、由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に遷された
と伝えられています。
また3代将軍実朝が、1219年1月、雪化粧の鶴岡八幡宮石段の砌、大銀杏の近くにて、
甥の公暁に28歳で暗殺された所でもあります。(写真下)
鶴岡八幡宮の御神木、大銀杏は、樹齢1000年といわれていましたが、平成22年3月10日、
雪混じりの強風によって倒れてしまったことはニュースで御存じのとおりと思います。
現在は、写真のように幹の下の部分だけが生きたまま近くに移され保存され、大銀杏が
もともとあった所にも新たな芽が伸びてきているようです。