楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

東京 巣鴨とげぬき地蔵・護国寺・鬼子母神 御朱印めぐり
地域:

巣鴨とげぬき地蔵・護国寺・雑司ヶ谷鬼子母神 御朱印めぐり

この記事では、おばあちゃんの原宿ともいわれ、年配者でにぎあう巣鴨地蔵通り商店街にある“とげぬき地蔵”そして大塚にある“護国寺”さらに池袋にある“雑司ヶ谷鬼子母神”の3寺院をまわる御朱印めぐりを紹介します。

高岩寺 (とげぬき地蔵)

高岩寺は、豊島区巣鴨”おばあちゃんの原宿”とも呼ばれる“地蔵通り商店街”の中にある
曹洞宗の寺院です。

とげぬき商店街

創建は慶長元年(1596)、山号は萬頂山、本尊は延命地蔵菩薩、通称“とげぬき地蔵”
呼ばれ親しまれています。

とげぬき地蔵山門

とげぬき地蔵本堂

 “とげぬき地蔵”の名の由来は、江戸時代、田付又四郎という武士の妻が病に苦しんで
いたある日、又四郎は妻が熱心に信仰していた地蔵尊のお告げを聞き、それに従い一寸
三分の地蔵尊の御影を作り、両国橋から隅田川に御影を流した所、その効験あってか
妻の病が回復したそうです。

また、毛利家の女中が誤って針を飲んでしまう事件が起こった時、地蔵菩薩の“御影”を
飲んだ所、御影にこの針が刺さって出てきて助かったという言い伝えがあり、以来
「とげぬき地蔵」と呼ばれるようになったそうです。

御影

なおこの『御影』(写真上)は、本堂で百円にていただくことが出来ます。
これを飲んだり、川に流したりすると病気治癒に効果があるとか、多くの人
が“とげぬき”に訪れていました。

とげぬき洗い地蔵

境内に立つ観音様(写真上)は“洗い観音”として信仰されています。
自身の気になる身体部分と同じ所に清水をかけ、手拭いで洗い清めると良いという
ことで、この日も年末の平日にもかかわらず、順番待ちの行列ができていました。
いただいた御朱印には“南無地蔵尊”「お地蔵様に帰依します」と墨書きされていました。

とげぬき地蔵朱印

護国寺

護国寺は、地下鉄有楽町線護国寺前駅の前、文京区大塚五丁目にある真言宗の寺院です。
山号は神齢山、本尊は如意輪観世音菩薩になります。
創建は天和元年(1681)、時の将軍綱吉が、母桂昌院の願いを受けて建てた寺だそうです。
地下鉄の出口を出るとすぐに“仁王門”があります。

護国寺仁王門

元禄時代に建てられた本堂は、国の重要文化財に指定されています。

護国寺本堂

大津の三井寺から移築されてといわれる月光殿も国の重要文化財に指定されています。

いただいた御朱印は、本尊の“如意輪観世音”と書かれていました。

護国寺朱印

雑司ヶ谷鬼子母神 (法明寺鬼子母神堂)

池袋駅から南へおよそ500メートル、池袋駅周辺の喧噪を抜けると雑司ヶ谷、
開創1200年と言われる法明寺の静かなたたずまいが表われます。
雑司ヶ谷鬼子母神堂の本院は、当地にある威光山法明寺であり、弘仁元年(810)
に開かれた日蓮宗のお寺です。
下の写真の鬼子母神堂には、本尊として”鬼子母神”が祀られています。
こちらの鬼子母神は”雑司ヶ谷鬼子母神”と呼ばれ、江戸三大鬼子母神のひとつに数えられています。

雑司ヶ谷鬼子母神

鬼子母神は、もともとは、インドの夜舎神の娘で他人の子を食らう鬼女だったということです。
しかしのちにお釈迦様に帰依し、安産・子育の神になったそうです。

雑司ヶ谷鬼子母神は、室町時代の1561年に現在の文京区目白台の池のあたりから、掘り出
されたものだそうです。 境内には、鬼子母神の石仏もひっそりとたたずんでいました。

鬼子母神 - コピー

こちらには、鬼子母神が、蝶になり病気の母親を献身的に看病する少女にお告げを与え、
親子を救ったという『すすきみみずく物語』の言い伝えがあります。
とても心に響く物語ですので、興味のある方は、こちらのホームページをクリックしてみてください。

いただいた御朱印にも、右上に、この“すすきみみずく”が押印されています。
また鬼女ではなく、守り神になった鬼子母神は、角がなくなり、鬼子母神を祀るお寺では、
”角(つの)のつかない鬼の字”を用いているそうです。
いただいた御朱印の写真に注目してみてください。

 

雑司ヶ谷鬼子母神御朱印

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