山中諏訪神社・北口本宮浅間神社・新屋山神社・新倉富士浅間神社 御朱印めぐり
この記事では、山梨県山中湖・富士吉田市にある神社を巡る御朱印めぐりを紹介しています。
山中諏訪神社
山中諏訪神社(やまなかすわじんじゃ)は、山中湖村山中御所にある神社です。
祭神は、建御名方命(たけみなかたのかみ;諏訪明神)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の2柱になります。
豊玉姫命を祀っていることから、古くから安産子授けの守護神として崇敬されている神社で、毎年九月に行われる
例大祭「山中明神安産祭り」は、妊産婦や新婚女性が集まるお祭りとして全国的に知られています。
社の案内によりますと、創建は十代崇神天皇の御代、国中に疫病が蔓延した折、勅命をもって土人創杞したことが
山中諏訪神社の起源になるそうです。
そして平安時代の康和三年(966)、村人が開墾の守護神として、諏訪大明神を祀ったそうです。
いただいた御朱印には、「豊玉姫命」が書かれていました。
山中浅間神社
山中浅間神社(やまなかせんげんじんじゃ)は、山中湖の西湖畔、山中湖村山中御所にある神社です。
諏訪神社とは、国道138号線を渡る朱色の歩道橋で連絡しています。
創建は平安時代の承平元年(931)、郷民社殿を造営し、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)、
天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこ ほのににぎのみこと). 大山祇命(おおやまつみのみこと).の3柱を
勧請して祀ったのが始まりになるそうです。
現在の社殿は、昭和47年の造営になります。
御朱印は、諏訪神社拝殿横の社務所の方でいただきます。
北口本宮 富士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社は、富士吉田市上吉田にある神社です。
主祭神には木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)とその夫神である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、
それに父神になる大山祇神を祀っています。
木花之佐久夜毘売命は、全国にある浅間神社の主祭神、富士山を鎮めるために祀られている神様です。
社の由緒によりますと、創建は景行天皇四十年(110)、日本武尊が東征の折、この地で富士の神霊を拝し、浅間大神と
日本武尊を祀ったのが始まりと伝えられています。
社によりますと、初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、平安時代の頃に山岳
信仰が普及し、登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、「富士山に登ること即ち祈り」
とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになったということです。
境内には、桃山様式の重厚感ある本殿、西宮本殿、武田信玄造営の東宮本殿などがあり、いずれも重要文化財に
なっています。
なお北口本宮冨士浅間神社は、富士登山道吉田口の起点となっているところであり、本殿の裏から登山道(写真下)
が山頂まで続いています。
新屋山神社
新屋山神社 は、北口本宮冨士浅間神社から1キロほどの所、富士吉田市新屋にある神社です。
社の由緒によれば、新屋山神社の創建は、天文3年(1534)と言われ、明治23年に本殿が造営され、さらに昭和48年
に拝殿を造営、今日に至っているそうです。
祭神は、木花開耶姫命の姉にあたる磐長姫命(イワナガヒメノミコト)で、岩の永遠性を表す神で、不老長生の神と
して信仰されてきているとのことです。
新屋山神社には、富士山の2合目(標高1,500m)に奥宮があります。
霊験あらたかな富士山2合目、パワースポットとも言われる奥宮は、近年『金運神社』として、テレビで取り上げられ、
全国的に知られるようになり、遠方より参拝に訪れる人も多いとのことです。
下の御朱印は、麓にある本宮の御朱印です。富士山の印がきれいに押されています。
新倉富士浅間神社
新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)は、新倉山の中腹、富士吉田市新倉にある浅間神社です。
祭神は、木花咲耶姫命と大山祇命(おおやまずみのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)になります。
社の創建は、奈良時代の慶雲三年(705)、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神としてお祀りしたのが始まりに
なるそうです。
下は拝殿になります。
下の写真は、拝殿近くから見た富士山になります。
本殿からさらに300段ほど石段を登った所には、新倉富士浅間神社のシンボル、「忠霊塔」とよばれる五重塔が
建っています。この場所は、「日本一の富士の眺め」と言われる絶景ポイントです。
訪れたのは4月23日、ちょうど新倉山(浅間山)は桜が満開、下の写真は桜と五重塔、そして富士山の3点セットになります。
小室浅間神社
小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)は、新倉富士浅間神社から車で10分ほどの富士吉田市下吉田にある神社です。
明治時代までは、下宮浅間神社と呼ばれていたそうです。
祭神は、木花開耶姫命になります。
社の由緒によりますと、創建は平安時代初めの大同二年(807)、坂上田村麻呂が東征の際、この地から富士山に戦勝を
祈願、その神恩に感謝して社殿を造営したのに始まるそうです。
手水舎は、富士山の溶岩、そして龍の口から湧水が出ています。