浅草神社・浅草浅間神社・下谷神社・秋葉原神社・北野神社・太田神社・平河天満宮・猿江神社
正月限定 神社御朱印めぐり
毎年正月、初詣に合わせ新年・正月限定の御朱印をいただける寺社があります。
この記事では、東京都内神社の正月限定御朱印めぐりを紹介しています。
浅草神社
浅草神社は、浅草寺の本堂の隣、台東区浅草にある神社です。
浅草神社は、明治の神仏分離令により、浅草寺とは別法人になった神社です。浅草寺の起源となった漁師の兄弟二人
と土師真中知郷司、この三人を“三社権現”と称し、神として祀ったのが三社権現社、浅草神社の始まりだそうです。
浅草神社が、『三社さま』と呼ばれ親しまれているのも、この三人の神様を祀ったことに由来するそうです。
毎年5月の中頃には、有名な『三社祭』が盛大に行われます。
いただいた御朱印は正月限定の御朱印、初詣のしるしに酉年に因み鶏付き、そして社印は金色で押されていました。
なお浅草神社では、浅草七福神の一つ、恵比須神の御朱印もいただくことができます。
浅草富士浅間神社
浅草富士浅間神社は、浅草神社から富士通りを北へ500メートルほど進んだ浅草五丁目にある木造木花咲耶姫命
(このはなさくやひめ)を祀る神社です。
富士山崇敬を目的とした「富士講」が結成された元禄年間(1688~1703)に、富士山遙拝所として創建されたのが
始まりのようです。
境内には、富士山の溶岩石などを用いた小さな小さな富士塚が建てられています。
いただいた御朱印は、正月3が日限定の御朱印です。社印が金色、そして富士山に平成二十九年の干支、
丁酉が記されています。
下谷神社
下谷神社は、上野駅から徒歩5分、地下鉄銀座線稲荷町駅から徒歩2分程度の台東区東上野にある神社です。
古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれていたそうで、地下鉄の駅名“稲荷町”にその名を残しているそうです。
祭神は“大年神”と“日本武尊”です。
大年神は素盞雄尊の子で「五穀を主宰し厚く産業を守護し給う神」、一般に『お稲荷様』と親しまれている神様です。
社の由緒によりますと創建は、天平2年(730)と古く、峡田の稲置などが“大年神”と“日本武尊”の2神を上野忍ヶ岡の
地に祀ったのが始まりだそうです。
いただいた御朱印には、正月限定ということで、初詣のしるしと金色の狐が押されていました。
秋葉原神社
秋葉原神社は、秋葉原駅から徒歩3分ほどの千代田区外神田にある神社です。
社の案内によりますと、主祭神は、太陽神である天照大神と未来仏である仏教の弥勒菩薩が融合した
天照弥勒大神(あまてらすみろくおおみかみ)になります。
参拝したのは平成二十九年正月3日、御朱印は酉年の“酉”が入った見開きでいただきました。
牛天神 北野神社
牛天神北野神社は、文京区春日1丁目にある天神様;菅原道真公を祀る神社です。
葛飾北斎が、富嶽三十六景の一つ、「礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあした)」を描いたという高台に建っています。
いただいた御朱印は、金文字が入った正月限定の御朱印です。
社の案内によりますと、創建は鎌倉時代の元暦元年(1184)、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられたそうです。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り、牛天神を創立したのが始まりになるようです。
以来、本殿前にある牛の形をした岩「ねがい牛」(写真下)をなでると願いが叶うといわれています。
境内社の一つ太田神社(写真下)は、もと祀られていた貧乏神と言われた黒闇天女(くろやみてんにょ;弁財天の姉)
にまつわる言い伝えがあります。
江戸時代にある清貧旗本が夢でみた老婆(黒闇天女)のお告げを実行し福がもたらされたという出来事から、
“人についている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れることができる”と、庶民の信仰を集めるようになったそうです。
太田神社の正月限定の御朱印には、金文字、そして「貧乏神はあちらにゆけや 神風に」と朱書きされていました。
平河天満宮
平河天満宮は、地下鉄半蔵門駅から徒歩2分ほどの千代田区平河町にある天神様;菅原道真公を祀る神社です。
創建は文明十四年(1478)、江戸平河城城主太田道灌公の建立になるそうです。
徳川幕府に特別な格式で待遇され、紀州藩徳川家、彦根藩井伊家などの祈願所でもあったそうです。
いただいた御朱印には、道真公の人形のスタンプが押されています。
平成二十九年酉年の正月限定の御朱印で、酉と門松が押されていました。
境内には、稲荷神を祀る平河稲荷神社(写真下)があり、こちらの御朱印もいただくことができます。
こちらの御朱印にも、新年に因み門松が押されていました。
猿江神社
猿江神社は、地下鉄半蔵門線住吉駅から徒歩3分程度、江東区猿江二丁目にある神社です。
祭神は、天照大御神と宇迦之御魂命の2柱になります。
社の案内によりますと、平安時代後期の前九年の役において、数々の奉勝を立てた『猿藤太』という武将が、
此の地の入江で力尽きたそうです。
これに因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び、「猿江」の社名になったそうです。
創建年などは不詳のようですが、康平年間(1058頃)には近在の信仰を一身に集め、稲荷社として境内地五百
余坪を有したそうです。
御朱印は、新年1月限定の御朱印です。平成二十九年の干支は丁酉(金文字)、そして猿と共に鶏が描かれています。