楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

和歌山 紀伊田辺 御朱印めぐり
地域:

和歌山 闘鶏神社・救馬渓観音・道成寺 御朱印めぐり御朱印めぐり

 

この記事では、紀伊の田辺市にある闘鶏神社、上冨田町にある救馬渓観音、日高川町にある道成寺をめぐる
御朱印めぐりを紹介しています。

 

 

闘鶏神社

 

闘鶏神社(とうけいじんじゃ)は、田辺市東陽にある神社です。

 

 

 

創建は、允恭天皇八年(424)と伝えられ、熊野権現を勧請し“田辺宮”と称したのに始まるそうです。
中世においては、熊野権現の三山参詣に替えるという、三山の別宮的存在で熊野信仰の一翼を担っていたそうです。

 

 

 

 

 

鬪雞神社の名の由来は、平家物語壇ノ浦合戦の故事によるものだそうです。源氏と平氏の双方より熊野水軍の
援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増が、どちらに味方をするかの神意を確認す
るため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。

境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像があります。

 

 

 

 

境内では、御神木の大楠が存在感を放っていました。

 

 

 

 

救馬渓観音

 

救馬渓観音(すくまだにかんのん)は、上富田町にある真言系単立の寺院です。本尊は馬頭観世音菩薩になります。

 

約1300年前、修験道の開祖・役行者によって開かれたお寺で、紀南随一の開運厄除の霊場として信仰を集めている
そうです。

寺名の由来は、応永三十三年(1426)、小栗判官が熊野の湯の峰温泉に行く途中、突然愛馬が病のため動けなり、
当寺に参拝し祈願したところ、たちまち愛馬の病が治り、愛馬が救われたことに感激した小栗判官が堂宇を再建し、
馬を救った観音さまということで「救馬渓観音」と名付けたといわれています。

 

 

境内は広く、そして整備されていて公園のような装いのお寺です。毎年シーズンの6月には”あじさい曼荼羅園”が
開園し、1万株の色とりどりのあじさいを見ることができるそうです。

 

 

 

 

山門(写真上)の近くには、玉嶋辨才天が祀られています。

 

 

 

 

下の写真は、本堂前に建つ中門になります。

 

 

 

 

本堂は、大岩を背にしていますが、3階建の建物の屋上に建てられています。

 

 

 

 

いただいた御朱印には、「大悲閣」と書かれていました。

 

 

 

 

 

道成寺

 

道成寺 (どうじょうじ)は、日高川町にある天台宗の寺院です。

山号は天音山、本尊は千手観音菩薩になります。千手観音菩薩は平安時代初期の作で、国宝に指定されています。

 

道成寺は、能楽、人形浄瑠璃などで取り上げられる「安珍・清姫伝説」で知られる寺院です。寺の解説によりますと、
参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を
追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという悲恋の物語だそうです。

なお道成寺では、「安珍・清姫伝説」の絵巻物を見たり、絵解き説法を聞いたりすることができます。

 

仁王門は、江戸時代の元禄年間に再建されたもので国の重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

本堂は南北朝時代の正平十二年(1357)の建立になるそうで、国の重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

三重塔は江戸時代半ばの建立になるそうです。

 

 

 

 

本堂の横には、安珍が清姫に焼き殺されたという鐘楼の跡(写真下)が残っています。

 

 

 

 

また三重塔の近くには、“安珍塚”があります。

 

 

 

 

いただいた御朱印には、「千手院」と書かれていました。

 

 

 

ページトップ