安房神社・洲崎神社・高家神社 御朱印めぐり
この記事では、安房国一宮になる安房神社と洲崎神社、また我が国唯一の料理の神様を祀る高家神社など,南房総に
建つ神社をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
安房神社
安房神社(あわじんじゃ)は、館山市大神宮にある安房国一宮に列せられる神社です。
社の由緒によりますと、安房神社の創始は、今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として即位した
皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられているそうです。
神武天皇の命を受けた天富命(あめのとみのみこと)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、
そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。
その後、天富命一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半
島南端に上陸し、ここにも麻や穀を植えられました。
この時、天富命が自身の先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祀りされたのが、安房神社の起源になるそうです。
なお、天太玉命は日本における全ての産業の総祖神として崇敬されている神様です。
境内の下の宮(写真上)には、天富命が祀られ、本宮である上の宮(写真下)には天太玉命が祀られています。
洲崎神社
洲崎神社(すさきじんじゃ)は、千葉県館山市洲崎にあり、江戸時代に安房国一宮とされた神社です。
祭神は、安房神社に祀られている天太玉命の后神になる天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)になります。
創建は神武天皇の御世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を御神体として、御手洗山に祀ったのが
洲崎神社の始まりになるそうです。
海岸にある浜鳥居の近くには、“神石”が祀られています。この神石は竜宮から奉納された2つの石の一つと言われ、
もう一つは対岸の横須賀市にある安房口神社に祀られているそうです。安房口神社の石は口を開いていることから
「阿形」、洲崎神社のものは裂け目の様子から「吽形」とされ、2つの石で東京湾の入り口を守っているそうです。
随神門は、宝永年間の造営になります。随神門から150段の階段が続きます。
本殿は延宝年間(1673~1681)の造営になります。
御朱印は、随神門の所にあった書置きをいただいてきました。
本殿から左手に下りた所には、富士山遥拝所(写真下)があります。
空は雲一つない日本晴れ、でも富士山は、相模湾を越えたはるか遠く、カスミの彼方に沈んでいました。
高家神社
高家神社は、南房総市千倉にある神社です。
日本唯一の「料理の祖神」祀る神社として料理関係者や醤油醸造業者などから崇敬されている神社です。
社の由緒によりますと、主祭神“磐鹿六雁命”は、第12代景行天皇の安房行幸の折、釣り上げたカツオとハマグリ
を膾にして天皇に差し上げた所、その料理の技に称賛をいただいたとのことです。
以後、代代子孫は、皇室の食事を司るよう賜ったということです。
なお毎年5月10月、11月には“包丁式”が行われ、平安時代の宮中行事を再現した古式豊かな包丁と箸のみで魚を
さばく技が披露され、日本料理の伝統をかいま見ることができるそうです。
境内には、包丁塚(写真下)もあり、毎月17日に“包丁供養祭”が行われています。
いただいた御朱印にも、“料理祖神”と書かれています。
莫越山神社
莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は. 南房総市沓見にある神社です。
祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)と彦狭知命(ひこさしりのみこと)になります。
創建年などの詳細は不詳のようですが、天富命が阿波の忌部氏を率いて安房に上陸して開拓をはじめた時、
これに随行してきた小民命と御道命が、祖神を祀ったのが始まりになるそうです。
鶴谷八幡宮
鶴谷八幡宮は、館山市八幡にある安房国総社になり神社です。
祭神は、八幡大神になる品陀和気命(ほんだわけのみこと;応神天皇) 、帯中津彦命(たらつなかつひこのみこと
;仲哀天皇)、息長帯姫命(おきながたらしめのみこと;神功皇后) の3柱になります。
鶴谷八幡宮は、平安時代の初めに安房国総社として創建されましたが、鎌倉時代になると源氏の影響で八幡信仰
がさかんになったため、総社から改変し八幡宮になったそうです。
拝殿は昭和になってからの造営になりますが、本殿は享保五年(1721)の造営になるそうです。