西宮神社・神呪寺・門戸厄神 御朱印めぐり
この記事では、兵庫県西宮市にあるにある主だった寺社をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
えびす宮総本社 西宮神社
西宮神社は、兵庫県西宮市にある神社で、国内にある“えびす様”をお祀りしている“蛭児神系”のえびす社の
総本社になります。 主祭神は、「えびす大神」(蛭児大神)になります。
毎年1月10日から始まる“十日戎”は、800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で
賑わうそうです。
社の由緒によりますと、西宮のえびす様は、神戸・和田岬の沖より出現された御神像(蛭児の神)を、西宮の
漁師が発見、御神託により西宮にお祀りされたのが起源と伝えられています。
この御神像は、伊邪那岐と伊邪那美の大神の間に生まれた子であったそうです。この御子は、不具の子であっ
たと云われていますが、伊邪那岐、伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて海へ流
してしまわれたそうです。そして、この葦船が和田岬に流れ着いたのだそうです。
表大門(写真下)は、安土桃山時代の慶長9年に再建されたものだそうです。
下は、南大門になります。
下の写真は、太平洋戦争の空襲で焼失後、再建された拝殿になります。
円満寺
円満寺(えんまんじ)は、西宮市社家町にある高野山真言宗別格本山になる寺院です。
山号は医王山、本尊は薬師如来になります。
創建は康保三年(966)、法道仙人により開かれた寺になるそうです。
昭和二十年8月の空襲で、すべての建物が焼け、本堂などは戦後再建されたものです。
下の写真は、円満寺の全景になりますが、向かって右側が円満寺、左側は西宮成田山の堂宇になります。
西宮成田山(祈祷殿)には、不動明王が祀られています。この不動明王は、成田山新勝寺本尊の分身になるそうです。
下の写真は、祈祷殿になります。
いただいた御朱印は、西宮成田山の「不動明王」になります。
門戸厄神 東光寺
門戸厄神東光寺(もんどやくじんとうこうじ)は、西宮市門戸西町にある高野山真言宗別格本山になる寺院です。
山号は松泰山、本尊は薬師如来になります。
日本三大厄神のうちの一つになります。
創建は天長六年(829)、嵯峨天皇が41歳の厄年の時に、空海が厄除祈願を行ったのが始まりになるそうです。
その折、空海は愛染明王と不動明王が一体となったあらゆる厄を打ち払うという厄神明王像を三体刻み、その
一つが門戸東光寺に勧請されたそうです。
下は、表門になります。
下の写真は、中楼門になります。
中楼門には、“厄神明王”の大提灯が下がっています。
下の写真は、秘仏厄神明王像を祀る厄神堂です。
厄神堂の御朱印は、「厄神明王」になります。
下は、本尊の薬師如来を祀る薬師堂(瑠璃殿)になります。
薬師堂の御朱印は、「薬師如来」になります。
神呪寺
神呪寺(かんのうじ)は、西宮市甲山山麓にある真言宗御室派別格本山になる寺院です。
山号は甲山、本尊は如意輪観音になります。本尊の如意輪半跏像は、河内の観心寺、宇陀の室生寺の如意輪観音像
と合わせて、日本三如意輪と呼ばれているそうです。
大師堂に弘法大師像が祀られていることから甲山大師とも呼ばれ、地元では「お大師さん」とも呼ばれているようです。
寺号の「神呪寺」は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)
としたことによるそうです。
寺の歴史案内によりますと、創建は、天長五年(828)、淳和天皇の第四后・如意尼が霊山甲山に入ったことに
始まるようです。 天長八年には、本堂が造営されています。
山門は江戸時代後期の建立になります。
下は本堂になります。
本堂の御朱印には、「如意殿」と書かれていました。
下の写真は、密教経典に登場する大日如来の弟子とも言われる菩薩、金剛薩埵を祀る多宝塔になります。
多宝塔の御朱印は、「金剛薩埵」になります。