気比神宮、金ケ崎宮、西福寺、金前寺 御朱印めぐり
本記事では、福井県敦賀市にある気比神宮、金ケ崎宮、西福寺、金前寺の4寺社の御朱印めぐりを紹介しています。
金ケ崎宮
金ケ崎宮は、敦賀市金ケ崎町、金ケ崎城址の麓にある神社です。
創建は明治二十三年、祭神は、延元元年(1336)、足利尊氏に追われ金ケ崎城に入り、足利軍との戦いに敗死した
後醍醐天皇の御子である恒良親王と尊良親王を祀っています。
下の写真は拝殿になります。
拝殿の先が、本殿になります。
本殿の近くに、金ケ崎城址の碑が建っています。
金前寺
金前寺(こんぜんじ)は、敦賀市金ケ崎町、金ケ崎宮の入口に建つ高野山真言宗の寺院です。
山号は誓法山、本尊は十一面観世音菩薩になります。
寺の案内によりますと、創建は天平八年(736)、聖武天皇の霊夢により勅を奉じた泰澄大師が十一面観音の坐像を
本尊として寺を建てたのが始まりになるようです。
天皇親筆による金光明経を賜り、その経を金櫃に封じて陵丘に埋め、それによりこの山を金ヶ崎と名付け、寺名を
金前寺と号したそうです。
いただいた御朱印には、「十一面観世音」と書かれていました。
境内には、松尾芭蕉鐘塚があります。 「足利軍との戦いに敗れた新田義顕は陣鐘を海に沈めた。
のちに国守が海士に探らせたが、陣鐘は海底の泥に埋まって引き上げることが出来なかった」と、
この話を聞いた芭蕉は「月いつこ鐘は沈るいみのそこ」と詠んだとのことです。
気比神宮
気比神宮は、敦賀市曙町にある越前国一宮になる寺院です。古代から、「北陸道総鎮守」として朝廷からも
重視された神社であったようです。 主祭神には、「気比大神」と称される伊奢沙別命 (いざさわけのみこと)
が祀られています。
第2次世界大戦の空襲で、社殿のほとんどは焼失し、現在の社殿は戦後の再建になります。
空襲を免れた朱塗の大鳥居(写真下)は、奈良の春日大社、広島の厳島神社と並ぶ「日本三大鳥居」に数えられ、
国の重要文化財に指定されています。
下の写真は、拝殿になります。
松尾芭蕉が元禄二年(1689)、奥の細道の旅で氣比神宮に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂を見て
「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んだそうです。
気比神宮の境内には松尾芭蕉の像と句碑が建立されています。
近くにある日本三大松原の一つ“気比の松原”は、気比神宮の社名に由来しています。
西福寺
西福寺は、敦賀市市原にある浄土宗の寺院です。山号は大原山、本尊は阿弥陀三尊になります。
応安元年(1368)、後光厳天皇の勅願により良如を開山として創建された寺になります。
御影堂は、文化五年(1808)の建立で、国の重要文化財に指定されています。
阿弥陀堂は、室町時代建立の前身建物(禅宗様仏殿)の部材を利用し、文禄二年(1593)に建立されたもので、
国の重要文化財に指定されています。
書院庭園は、国の名勝に指定されています。
いただいた御朱印には、「圓光大師 法然上人」と書かれていました。
本堂の前には、『スダジイ』の木が、存在感を放っていました。