白山比咩神社・気多大社・気比神宮・若狭彦神社 御朱印めぐり
この記事では、北陸、石川県と福井県にある一宮をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介しています。
白山比咩神社 (白山市)
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町にある加賀国一宮に列せられる神社です。
全国に2,000社以上あると言われる白山神社の総本宮にあたる神社です。
石川、福井、岐阜の3県にわたる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。白山比咩神社は、
白山を御神体し、加賀(石川県)の登拝の拠点となる神社です。白山の最高峰・御前峰(2702m)には、奥宮があります。
社の歴史紹介によりますと、創建は崇神天皇七年(紀元前91)、本宮の北にある標高178mの舟岡山(白山市八幡町)
に神地を定めたのが創建になるそうです。
祭神は、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)=菊理媛尊(くくりひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、
伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱になります。菊理媛尊は、黄泉の国との境界で対峙する伊弉諾尊と伊弉冉尊を
仲裁した神様になるそうです。その後、天照大御神が生まれたそうです。
社殿前に建つのは、神門になります。
下の写真は、外拝殿になります。その後ろに、直会殿、拝殿、幣殿、本殿が一直線に並んでいます。
外拝殿前にある白山奥宮遥拝所には、大汝峰・御前峰・別山の「白山三山」を模した岩が祀られています。
気多大社
気多大社は、石川県羽咋市にある能登国一宮になる神社です。
祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)、別名;大己貴命(おおなむちのみこと)になります。大己貴命は、
出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に祀られています。
神門は、安土桃山時代の造営になるそうです。
拝殿は、江戸時代初期に造営されたものです。
下の写真は、拝殿並びに本殿になります。
気多大社は、3万3000㎡の広大な社域を持つ神社で、その大半はうっそうとした原生林になります。
境内の裏手には、原生林、社叢「入らずの森」(国の天然記念物)が広がっています。
気比神宮
気比神宮は、敦賀市曙町にある越前国一宮になる寺院です。古代から、「北陸道総鎮守」として朝廷からも
重視された神社であったようです。近くにある有名な“気比の松原”は、気比神宮の社名に由来したものです。
主祭神には、「気比大神」と称される伊奢沙別命 (いざさわけのみこと)が祀られています。
第2次世界大戦の空襲で、社殿のほとんどは焼失し、現在の社殿は戦後の再建になります。
空襲を免れた朱塗の大鳥居(写真下)は、奈良の春日大社、広島の厳島神社と並ぶ「日本三大鳥居」に数え
られ、国の重要文化財に指定されています。
下の写真は、拝殿になります。
松尾芭蕉が元禄二年(1689)、奥の細道の旅で氣比神宮に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂を見て
「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んだそうです。 気比神宮の境内には松尾芭蕉の像と句碑が建立されています。
近くにある“気比の松原”は、気比神宮の社名に由来しています。
若狭彦神社 (上社)
若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)は、福井県小浜市龍前にある若狭国一宮になる神社です。上社、下社の2社からなり、
上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)といい、総称として「若狭彦神社」または「上下宮」と
呼ばれています。 創建は、和銅七年(714)になるそうです。
祭神は、“海幸彦山幸彦”の神話で知られる山幸彦;彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)になります。
下の写真は、楼門になります。
そして神門になります。その先に本殿があります。
なお御朱印は、下社の方にある社務所でいただくことになります。
若狭姫神社 (下社)
若狭姫神社(下社)は、若狭彦神社から北へ1.5kmほどの遠敷の里にあります。
若狭彦神社より六年の後、養老五年(721)に豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭神に、創建されています。
下の写真は、楼門になります。
そして神門になります。その先に本殿があります。