枚岡神社・野崎観音・石切劔箭神社・四条畷神社 めぐり
この記事では、大阪府東大阪方面にある枚岡神社、石切劔箭神社・野崎観音・四条畷神社をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。
枚岡神社
枚岡神社は、東大阪市出雲井町、近鉄枚岡駅前に建つ河内国一宮になる神社です。 社の由緒によりますと、創建は
神武天皇即位の3年前になるそうです。中富氏の祖になる天種子命(あめのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の
頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建とされています。
主祭神は、天児屋根大神、比売大神になります。天児屋根大神、比売大神の2柱は、枚岡神社から奈良の春日大社に
勧請されたので「元春日社」とも呼ばれています。
枚岡駅から続く参道をいきますとその先が石段、その上が拝殿(写真下)、その奥が本殿になります。
現在の本殿は、文政九年(1826)に造営されたもので、枚岡造りと呼ばれる4殿並列、極彩色の美しい建物です。
石切劔箭神社
石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)は、近鉄けいはんな線の新石切駅から徒歩7分ほどの大阪府東大阪市
東石切町にある神社です。「石切さん」と呼ばれ、腫物にご利益がある神様で「でんぼ(腫物)の神さん」として
信仰されています。 また本殿前にある百度石の間を行き来する「お百度参り」としても知られる神社です。
神武天皇二年に生駒山中の宮山に、饒速日尊(にぎはやひのみこと)の御子である可美真手命(うましまでのみこと)が、
天照大神の孫にあたる父、饒速日尊を奉祀したのを神社の起源とし、祭神にはこの「可美真手命」と「饒速日尊」を祀っ
ています。 下の写真は、絵馬殿(楼門)になります。
絵馬殿を過ぎ、まっすぐ進むと三の鳥居、その先が本殿、本殿と三の鳥居の間に「百度石」が置かれています。
下の写真は、御神木と本殿になります。
野崎観音 (慈眼寺)
慈眼寺は、JR学研都市線の野崎駅から徒歩8分程度の大阪府大東市野崎にある曹洞宗の寺院です。山号は福聚山、
本尊は十一面観音で、通称「野崎観音」として知られている寺院です。
江戸時代から続く、有縁無縁問わずすべてのものに感謝を捧げる『野崎参り』で知られ、その期間である5月1日から
10日までは参拝客が20万人を超える賑わいになるそうです。
山門は、竜宮門になります。
下は、本堂になります。
寺の案内によりますと、創建は天平勝宝年間(749-757)、インドから来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が
初めて仏法を説いた鹿野苑によく似ている」と僧行基におっしゃられ、それに感動された行基が、十一面観音像を
刻み安置したのが寺の始まりになるそうです。
そして元和二年(1616)、青厳和尚によって再興され、17世紀末には有名な「野崎参り」が始まったそうです。
野崎参りは、近松門左衛門の浄瑠璃や落語の「野崎詣り」、東海太郎の『屋形船で参る』と歌われる「野崎小唄」
など、様ざまな作品の舞台になっていることでも知られています。
境内には、お染久松塚や野崎小唄の歌碑などが建っています。
いただいた御朱印には、観音様のお堂「大悲殿」と書かれていました。
四条畷神社
四条畷神社は、JR四条畷駅から東へおよそ1キロの大阪府四条畷市にある神社です。 主祭神に、南朝の将として戦い、
「四条畷の戦い」で戦死した楠木正成の子、楠木正行を祀っている神社です。
明治政府によって建武の中興に尽力した功績により、正行の父である楠木正成が大楠公として神格化されると、
その父の遺志を継いで南朝のために戦い命を落とした嫡男の正行も小楠公(しょうなんこう)と崇められ、明治
二十三年(1890)に社殿が造営され、四条畷神社が創建されてそうです。
境内には、楠木父子の「桜井の別れ」の像が建っています。桜井の別れは、西国街道の桜井の駅(驛)で
楠木正成・正行 父子が訣別する逸話が残っています。桜井の駅で別れた後、正成は湊川の戦いで足利軍に敗れ戦死しています。
また拝殿前には、楠公の慰霊碑も建っています。