奈良 法華寺・海龍王寺、不退寺、般若寺めぐり
この記事では、平城京、奈良公園の北側、奈良市北部にある法華寺、海龍王寺、不退寺、般若寺をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
法華寺
法華寺は、近鉄奈良線の新大宮駅から徒歩15分ほどの奈良市法華寺町にある光明宗の寺院で、本尊は
木造十一面観音立像(国宝)になります。 創建は天平十七年(745)、光明皇后ゆかりの門跡尼寺として、
全国の総国分寺、東大寺に対し、法華寺は総国分尼寺として創建された格式の高い寺院になります。
南大門は、切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建されたもので、重要文化財になっています。
現在の本堂は、慶長六年(1601)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
いただいた御朱印には、「光明皇后御尊像 十一面観音」と書かれていました。
鐘楼は、桃山時代に再建されたものです。
境内の東側には、「華楽園」といわれる庭園が広がり、四季折々の花々を鑑賞することができます。 下の写真は、
庭園の近くにある光明皇后が薬草を煎じて、多くの難病者を救済された所で、「浴室(からふろ)」になります。
海龍王寺
海龍王寺は、法華寺の北東に隣接する奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院です。本尊は十一面観音になります。
寺の歴史案内によりますと、創建は天平三年(731)、光明皇后により、皇后の父であった藤原不比等の邸宅があった
所に建てられた寺だそうです。 平安遷都と共に寺は衰退しましたが、鎌倉時代に真言律宗を開いた興正菩薩叡尊により
伽藍が整備され、戒律の道場、勉学所として栄えたそうです。
山門は、室町時代に建立されたものです。
本堂は江戸時代の寛文六年(1666)に再建されたものになります。
西金堂(重要文化財)は、奈良時代の建立で内部に高さ4メートルほどの五重小塔(国宝)を安置しています。
いただいた御朱印には、「妙智力」と書かれていました。“妙智力”とは、観音経にある「観音妙智力」という言葉
からきているそうです。寺の案内によりますと、「観音菩薩様の素晴らしい智慧の力は、普く世間の苦しみを救い
たまう」ということになるそうです。
不退寺
不退寺は、海龍王寺から東へ徒歩15分ほどの奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院です。山号は金龍山、本尊は
在原業平の自作といわれる聖観世音菩薩立像になります。 創建は平安時代の初め、仁明天皇の勅願を受け、
伊勢物語の作者でもある在原業平が開いた寺として伝わっていて、別名「業平寺」と呼ばれるそうです。
南門は、鎌倉時代に建てられたもので重要文化財に指定されています。
本堂も鎌倉時代の建立で、重要文化財に指定されています。
初層のみ残っている多宝塔も鎌倉時代に建てられたもので重要文化財に指定されています。
多宝塔の近くには、業平公の歌碑が建てられています。
「おをかたは月をもめじこれぞこの 積もれば人の老いとなるもの」で、これは晩年、お月見をしていた時に
詠まれた歌だそうです。月をめでるたびに歳を感じるわびしさを詠んたものになるようです。
いただいた御朱印には「本尊聖観音」と書かれていました。
般若寺
般若寺は、奈良市北部、般若寺町にある真言律宗の寺院です。山号は法性山、本尊は文殊菩薩になります。
寺の歴史案内よりますと、創建は飛鳥時代の629年、高句麗の僧、慧潅法師がこの地に瑞祥を見て「般若台」
と号する精舎を開創したのが始まりになるそうです。 そして、奈良時代の天平十八年(735)、聖武天皇が
平城京の鬼門鎮護のため紺紙金泥の『大般若経』六百巻を地中に納め、卒塔婆をはじめ伽藍を整え勅願寺とし、
そのとき経題に因み「般若寺」と命名されたそうです。
そして鎌倉時代の文永四年(1267)、興正菩薩叡尊上人が般若寺本尊文殊菩薩像を12年の歳月をかけて造立され、
開眼供養が行われたそうです。この文殊菩薩像は獅子の上に乗った巨像であるそうです。
楼門(写真下)は、鎌倉時代に建立されたもので国宝に指定されています。
現在の本堂は江戸時代の初期に再建されたものです。
なお般若寺は、日本最古のコスモスの名所になるそうで、シーズンには境内にコスモスが咲き誇り「コスモス寺」
として知られています。
いただいた御朱印には、「八字文殊菩薩」と書かれていました。見開きでいただいた左側には、文殊菩薩が騎乗
している「獅子」が書かれていました。 般若寺の本尊は、頭上に8つのまげを結っている八髻文殊像で、八髻の
文殊菩薩は「八字文殊」とも言うそうです。