日輪寺・雲巌寺・鷲子山上神社 御朱印めぐり
この記事では、茨城・栃木・福島の3県にまたがる八溝山にある日輪寺、大田原市にある雲巌寺、栃木県と
茨城県の県境の鷲子山の山頂に建つ鷲子山上神社をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介しています。
日輪寺
日輪寺は、茨城・栃木・福島の3県にまたがる八溝山(標高1022メートル)の8合目、茨城県大子町に位置
する天台宗の寺院です。
山号は八溝山、本尊は十一面観音になり、坂東三十三所観音霊場の第21番札所になっています。
創建年などの詳細は不詳とのことですが、7世紀後半、白鳳年間に修験道の開祖、役小角が創建した寺だそうです。
そしてその後、廃寺となっていたのを、大同二年(807)、弘法大師空海が自ら十一面観音像を刻み、これを本尊
にして再興したそうです。
伽藍は、江戸時代また明治時代と度重なる火災にあい焼失、現在の本堂もその後再建されたものになります。
いただいた御朱印には、「大悲殿」と書かれていました。
雲巌寺
雲巌寺は、八溝山地の一角、栃木県大田原市雲岩寺にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は東山、
本尊は釈迦牟尼仏になります。福井県の永平寺、福岡県にある聖福寺、和歌山県にある興国寺と共に、
日本の禅宗の四大道場の一つに数えられる名刹です。 創建は大治年間(1126~1131)、叟元和尚に
より開基され、その後弘安六年(1283)に、北条時宗の尽力により、仏國國師(後嵯峨天皇の皇子)
により開山された寺と伝わっています。
朱塗りの反り橋を渡り、石段を登ると山門になります。
仏殿には、本尊の釈迦牟尼仏が安置されています。
雲巌寺は、松尾芭蕉が奥の細道紀行の途中に立ち寄った寺として知られ、境内にはその時に詠まれたという
芭蕉と芭蕉の禅の師であった当時の住職、仏頂和尚の歌碑が立てられています。
“木啄も庵はやぶらず夏木立” (芭蕉)
“竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば” (仏頂和尚)
いただいた御朱印には、開山である仏國國師が当山の情景を読まれた歌が書かれていました。
「洞中の山色四時好し 雲外の渓声 一様に寒まじ」
鷲子山上神社
鷲子山上神社(とりこのさんしょうじんじゃ)は、栃木県と茨城県の県境、標高470メートルの鷲子山の山頂
(栃木県那珂川町)に建つ神社です。
大鳥居 の中央部が、栃木と茨城の県境になるという全国でもめずらしい神社です。
社の由緒によりますと、創建は大同二年(807)、大蔵坊宝珠上人が諸国遍歴中に四国の阿波国で学んだ紙漉きの
技術と共に守護神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を勧請し、鷲子山に社殿を建立したのが始まりになる
そうです。 天日鷲命は、鳥の神様になります。この神様の御使いが「梟(フクロウ)」になるそうで、梟は不苦労、
幸福を呼ぶ神鳥として崇敬されています。 境内には多くの梟の像があります。
安養閣と呼ばれる楼門(随神門)は、文十二年(1815)に建立されたものです。
楼門から本殿へ通じる「ふくろうの石段」は、96(ふくろう)段あるそうです。
現存する本殿は、天明八年(1788)に再建されたものになるそうです。
本宮の前には、日本一大きなフクロウ像が建っています。
いただいた御朱印にも、ふくろうが押されていました。