楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

東京 雑司ヶ谷・目白 御朱印めぐり
地域:

雑司ヶ谷鬼子母神、目白不動、南蔵院  御朱印めぐり

 

この記事では、豊島区目白界隈にある雑司ヶ谷鬼子母神、目白不動、南蔵院の3寺院をまわる御朱印めぐりを紹介しています。

雑司ヶ谷鬼子母神 (法明寺鬼子母神堂)

 

池袋駅から南へおよそ500メートル、池袋駅周辺の喧噪を抜けると雑司ヶ谷、開創1200年と言われる法明寺の静かな

たたずまいが表われます。

 

 

雑司ヶ谷鬼子母神堂の本院は、当地にある威光山法明寺であり、弘仁元年(810)に開かれた日蓮宗のお寺です。

鬼子母神堂(写真下)には、本尊として鬼子母神が祀られています。

 

 

鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗や法華宗の寺院で祀られることの多い神様です。一般には、安産・子育(こやす)

の神として知られています。   鬼子母神は、もともとは、インドの夜舎神の娘で500人にも上る子を産みましたが、その性格

は凶暴で他人の子を食らう鬼女だったそうです。

お釈迦様は、過ちから彼女を救うことを考えられ、彼女がとても可愛がっていた末の子を隠してしまわれたそうです。

そこで狂ったように嘆き悲しむ鬼子母神に、「子を殺された親の気持ちはいかほどか」と戒められたということです。

そこで初めて彼女は、今までの過ちを悟り、お釈迦さまに帰依し、安産・子育の神になったそうです。

法明寺の鬼子母神は、室町時代の1561年に現在の文京区目白台にある池のあたりから、掘り出されたものだそうです。

境内には、鬼子母神の石仏もひっそりとたたずんでいました。

 

 

こちらには、鬼子母神が、蝶になり病気の母親を献身的に看病する少女にお告げを与え、親子を救ったという『すすきみみずく物語

の言い伝えがあります。 とても心に響く物語ですので、興味のある方は、こちらのホームページをクリックしてみてください。

いただいた御朱印にも、この“すすきみみずく”が押印されています。 鬼女ではなく、守り神になった鬼子母神は、角がなくなり、

鬼子母神を祀るお寺では、角(つの)のつかない鬼の字を用いているそうです。 下の御朱印の写真に注目してみてください。

 

 

 

 

金乗院 (目白不動)  

 

金乗院は、地下鉄副都心線の雑司ヶ谷駅から徒歩5分ほどの豊島区高田にある真言宗豊山派の寺院です。山号は神霊山、

本尊は聖観世音菩薩になります。   創建は天正年間(1573~1592)、開山の僧永順が本尊の聖観音を勧請して観音堂を築

いたのが始まりになるそうです。当初は蓮花山金乗院といい中野にある宝仙寺の末寺でありましたが後に、神霊山金乗院

と改め護国寺の末寺になったようです。 山門は、200年ほど前に建てられたものだそうです。

 

 

目白不動明王は、元々は1キロほど離れた文京区関口にあった新長谷寺の本尊であったものだそうですが、昭和20年の戦災により

新長谷寺が焼失したため、金乗院に移されたそうです。

不動明王像は、目黒、目赤などの五色不動の一つであり、三代将軍徳川家光の命により、「目白不動」と称されるようになった

ようです。そしてこの「目白」が、この地の地名になったそうです。

 

 

目白不動明王像(秘仏)は、弘法大師空海が出羽の湯殿山で修業をされた時に自ら刻まれたと言われるもので、高さ8寸

(25センチ)ほどの木像になるそうです。 本堂の前には、弘法大師像が建っています。

 

 

いただいた御朱印には、「目白不動明王」と書かれていました。

 

 

本堂は昭和20年の戦災で焼失、現在の本堂は昭和46年に再建されたもので、本尊の聖観世音菩薩も安置されていて、

「聖観世音菩薩」の御朱印をいただくこともできます。

 

 

南蔵院  

 

南蔵院は、金乗院から面影橋方向に徒歩3分ほどの豊島区高田にある真言宗豊山派の寺院です。山号は大鏡山、

本尊は薬師如来になります。 創建は室町時代の初期、円成比丘が奥州藤原氏の持仏であったといわれる本尊の

木造薬師如来立像を奉持して、この地に草庵を結んだのが始まりになるそうです。

 

 

南蔵院には、花籠や音羽山などの江戸時代の有名力士の墓があることでしられています。 また三遊亭円朝が南蔵院

旧本堂天井の龍の絵を見て創作した講談「怪談乳房榎」のゆかりの地としても有名ですが、現在、龍の絵は残っていません。

本堂の周りはバラが植えられ、きれいなというよりもとても“素敵な”お寺でした。

 

 

いただいた御朱印には、「本尊薬師如来」と書かれていました。

 

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