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御朱印めぐりの旅

名古屋 大須観音 界隈御朱印めぐり

名古屋 大須観音・七寺・福生院・萬松寺 御朱印めぐり

この記事では、名古屋市中区にある大須観音・七寺・福生院・萬松寺をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。

 

大須観音 (真福寺)  

大須観音は、地下鉄鶴舞線大須観音駅から徒歩1分、名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山になる寺院です。
寺の正式名称は、「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」になりますが、
本尊は聖観音、通称「大須観音」と呼ばれています。

寺の縁起によりますと、元享四年(1324)後醍醐天皇が、現在の岐阜県羽島市大須に北野天満宮を造営、
元弘三年(1333)に帰依していた能信上人により天満宮の別当寺として真福寺を開いたのが始まりにな
るそうです。
慶長十七年(1612)に現在地に移転し発展、大須の地名は大須観音の門前町から来たようです。

明治の大火や昭和二十年の空襲により伽藍は焼失、昭和45年に本堂が再建され現在に至るそうです。
参拝したのは、3月末の土曜日、境内は骨董市が開かれ大変な賑わいでした。

大須観音には、本堂内に名古屋七福神の一つ「布袋尊」が祀られていて、御朱印をいただくことができます。

七寺 (長福寺)  

七寺(長福寺)は、大須観音から徒歩2分ほどの名古屋市中区大須にある真言宗智山派の寺院です。
山号は稲園山、本尊は聖観世音菩薩と勢至菩薩になります。

寺の案内によりますと、創建は天平七年(735)、僧行基により開かれたといわれています。
そして延暦六年(787)、河内権守の紀是広が7歳で亡くなった子を弔うために七堂伽藍を建立した事から、
七寺(ななつでら)と呼ばれるようになったそうです。
昭和二十年の空襲により七堂伽藍はすべて焼失、現在では街中にある小さな寺の様相となっています。

いただいた御朱印には、本尊の「聖観音 大勢至 両菩薩」と書かれていました。
元の本尊は阿弥陀如来を中心とした「阿弥陀三尊像」であったそうですが、太平洋戦争の空襲で阿弥陀如来蔵は焼失、
脇侍の聖観音像と勢至菩薩像が残ったそうです。

七寺には、不動明王も安置されていて「不動尊」の御朱印をいただくこともできます。

 

萬松寺  

萬松寺は、名古屋市中区大須にある曹洞宗の寺院です。山号は亀岳林、本尊は十一面観音になります。
創建は天文九年(1540)、織田信秀が織田家の菩提寺として、那古野城の南側に建立したのが始まりだそうです。
織田信秀の墓碑もこちらにあります。

昭和二十年の空襲により伽藍は焼失、現在の本堂は1994年に、再建されたものだそうです。

本堂3階にある万松寺からくり人形「信長」は、八代目玉屋庄兵衛氏によって制作されたもので、本堂
再建時に設置されたものです。毎日10時から18時まで2時間おきに上演されているそうです。
本堂前のお堂には、不動明王の石像が祀られています。
元亀元年(1570)織田信長が越前の朝倉城を攻めた帰り道、琵琶湖の北方で、鉄砲でねらいうちされ二発の
命中弾を受けたのですが、かすり傷だけで済んだようです。
これは不動明王の加護によるものといわれ、この話を聞いた加藤清正が「身代り不動」と命名したそうです。

いただいた御朱印には、「加藤清正公命名 身代不動明王」と書かれていました。

 

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