この記事では、施福寺、金剛寺、水間寺、釘無堂の大阪泉南地域にある名刹をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
施福寺
施福寺は、大阪府和泉市にある天台宗の寺院です。山号は槇尾山、本尊は弥勒菩薩になります。
なお施福寺は、西国三十三所観音霊場の4番札所であり、札所本尊は十一面千手千眼観世音菩薩になります。
創建は欽明天皇の時代(539~571)、行満上人により開かれたそうです。役の小角や行基菩薩などの山岳修行の
道場であり、弘法大師 空海が出家得度した寺にもなるようです。
麓には駐車場がありますが、本堂までは、そこからおよそ1kmも続く、きつい階段を登る必要があります。
こちらの参道は、西国三十三所観音霊場の中でも最大の難所といってもよいかもしれません。
参道を300メートルほど登ると山門、仁王門が迎えてくれます。ここまでは、ゆったりとした登坂です。
山門を過ぎると、かなり急な石段が、これでもかこれでもかと続いています。
本堂の手前には、空海が得度して剃髪したとされる場所(写真下)や、その毛髪を祀るとされる弘法大師御髪堂があります。
現在の本堂は、江戸時代の終わり、安政年間(1854 – 1860)に再建されたものになります。
いただいた御朱印は、「大悲殿」と書かれていました。
金剛寺
金剛寺は、大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山になる寺院です。山号は天野山、本尊は大日如来になります。
高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」と呼ばれている寺院です。
寺の案内によりますと、創建は天平年間(729-748)、聖武天皇の勅願により、僧行基が開いた寺になるそうです。
また弘法大師空海もこちらで修業をした由緒ある寺になるようです。
楼門(重要文化財)から入ります。
金堂には、平安時代後期に造られたという本尊の木造金剛界大日如来坐像が安置されています。
訪れた時は平成の大修理中、本堂の前にある多宝塔も修理中で拝観することはできませんでした。
五佛堂が仮本堂になっており、大日如来像などはこちらに祀られていました。
仮本堂の隣には、御影堂(重要文化財)があります。
御朱印は、食堂(重要文化財)横の御朱印所でいただきました。
いただいた御朱印は、「大悲殿」と書かれていました。
釘無堂 (孝恩寺)
孝恩寺は、大阪府貝塚市にある浄土宗の寺院です。山号は慈眼山、本尊は阿弥陀如来になります。
孝恩寺は、もとは「観音寺」と称され、旧観音寺は、奈良時代の神亀三年(726)に行基によって建て
られたという古刹になります。
観音寺は、天正十三年(1585)の豊臣秀吉による紀州攻めの際、大半の堂宇は焼き払われてしまったそうです。
唯一残った本堂、観音堂は、釘を1本も使わずに建てられたもので「木積の釘無堂」と呼ばれています。
鎌倉時代の密教建築様式を伝える貴重な文化財として国宝に指定されています。
いただいた御朱印には、本尊の「阿弥陀如来」と書かれていました。
水間寺
水間寺は、大阪府貝塚市にある天台宗別格本山になる寺院です。寺は二つの川が交わったところに建っていて、
「水間寺」という寺名がついたようです。
山号は龍谷山、本尊は聖観世音菩薩になります。
寺の案内によりますと、創建は天平十六年(744)、聖武天皇の勅願により、僧行基が開いた寺になるそうです。
寺の由来によりますと、聖武天皇が42歳の厄年の時に病気になられ、その病気平癒のご利益を授かった観音様、
水間寺の谷間から出現した龍神が行基に手渡したという聖観世音菩薩は「厄除け観音」になるそうです。
本堂の裏側には、「聖観音菩薩出現の滝」があります。
現在の本堂は、文化八年(1811)に再建されたものになります。
本堂の前には、堂々とした三重塔が立っています。
通天橋を渡った所には、行基堂などが建てられています。
いただいた御朱印には、大慈悲の観音様がいらっしゃるお堂「大慈殿」と書かれていました。