楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

大津 石山寺周辺 御朱印めぐり
地域:

 

この記事では、石山寺、岩間寺、立木観音、建部大社の大津・石山界隈にある寺社の御朱印めぐりを紹介してます。

石山寺

JR東海道線石山駅で京阪電車;石山坂本線に乗ると二駅目、およそ5分で石山寺駅に到着します。
ここから瀬田川に沿って7,8分歩くと石山寺に到着です。

 

石山寺は、東寺真言宗の寺で、山号は石光山、本尊は如意輪観音であり、奈良の長谷寺や京都の清水寺と
並ぶ有数の観音霊場であり、西国三十三観音霊場の13番札所になっています。
石山寺は、天平19年(714)、聖武天皇の勅願により良弁僧正により開かれたと伝えられています。

 

 

本堂(国宝)は、正堂、合い間、礼堂の三つからなる複合建築で、正堂は11世紀にたてられた滋賀県最古の
建築物になり、ここに本尊如意輪観音が安置されています。
合の間の東端には、紫式部が源氏物語を書いた部屋と伝わる「源氏の間」があり、執筆中の紫式部の像が安置されています。

 

 

本堂の前には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえており、天然記念物に指定されています。

 

 

国宝の多宝塔は、1194年に建てられたもので、年代がわかる多宝塔としては日本最古のものになります。

 

 

 

境内は広く,源氏苑には紫式部像が建てられています。

 

 

御朱印は、西国13番の御詠歌入り、見開きでいただきました。
いただいた御朱印は、「大伽藍」と記されています。

お坊さんが修行する大きなお寺、お堂ということになるかと思います。

 

 

 

御詠歌は、「後のよを 願うこころは かろくとも 佛のちかい おもき石山」と記されています。
「我々の願いはたとえ小さくても、観音様のご慈悲のお心は重くありがたいものである」と言うこと
ではないかと思います。

正法寺 (岩間寺)

正法寺は、大津市石山内畑町、滋賀県と京都府の県境に位置する真言宗醍醐派の寺院です。
山号は岩間山、本尊は千手観音であり、西国三十三所観音霊場の第12番札所になっています。
通称山号で「岩間寺」とも呼ばれています。

 

 

 

奈良時代に、泰澄が岩間山中の桂の木で千手観音を刻み、本尊にしたのが始まりと伝えられています。

本堂の前には、本尊千手観音が出現したと伝えられる霊木;桂の木(写真下)があります。

 

本尊は、秘仏ではありますが、毎晩人々の救済のために136の地獄をめぐり、汗にまみれているということで、
「汗かき観音」、また「ぼけふうじ観音」としても信仰を集めています。
本堂は、天正五年(1577)に再建されたものになります。

 

 

いただいた御朱印には、「大悲殿」と書かれていました。

 

安養寺 (立木観音)

 

安養寺は、大津市石山南郷町にある浄土宗の寺院で、本尊は聖観世音菩薩(立木観音)になります。
厄除けの信仰が篤く「立木観音」と通称で呼ばれることが多いお寺です。

 

創建は弘仁六年(815)、後に高野山を開いた弘法大師空海が、この地に立ち寄った時、瀬田川の対岸に

霊木を見つけたがそこに渡れずにいたところ、白鹿に身を変えた観音様が助けてくれたという言い伝えがあるそうです。

これに感服した弘法大師が、自身のみならず未来永劫人々の厄難・厄病を祓おうと、霊木を立木のままに観音像を刻み、

この地に堂宇を建てたのが安養寺の始まりだそうです。以来災難除け、厄除けの寺として篤く信仰されているそうです。

瀬田川河畔からかなり急な石段を、ひたすら上へ上へと登っていきます。

 

 

 

800段を超えるという石段を登り切った所が本堂になります。ここまで登ってきたというだけで、観音様から

功徳をいただけるような気がしてきます。

本堂には、本尊の立木観音が安置されています。

 

 

 

 

本堂の前には、白鹿に乗った弘法大師の像(写真下)があります。

 

 

 

本堂からなおも石段を登ると小さな鐘楼があり、参拝者はここで鐘をひとつきして厄を落とす。

さらに上へ登ると奥の院があります。奥ノ院には道了権現大菩薩が祀られています。
いただいた御朱印には、「立木観音」と書かれていました。

 

 

建部大社

建部大社は、京阪石山坂本線の唐橋前駅から徒歩10分程の所にあり、主祭神に『日本武尊』を祀る、

近江の国一宮に列せられる由緒ある神社です。

 

 

寺伝によりますと、景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が、

神崎郡建部の郷に日本武尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創になるそうです。
また、源頼朝が平家に捕われ、14才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、当社に参篭して

前途を祈願した事が平治物語に記されています。その後、頼朝は源氏再興の宿願成って、建久元年(1190)、

右大将として上洛の際、再び社前で祈願成就の神慮に対し、幾多の神宝と神領を寄進されたそうです。
以来当社は、出世開運、除災厄除、商売繁盛、縁結び、などの神として崇拝されているそうです。

 

 

拝殿(写真上)の奥に本殿と権殿が、同形式の一間社流れ造りで並んで建っています。
また拝殿の右前には、御神木の三本杉が立っています。
この三本杉は、大己貴命が権殿に祀られた際に一夜にして成長したと伝わっています。
また境内には、鎌倉時代の1270年に造営されたという石燈籠(写真下)も建っています。

 

 

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