楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 今宮神社・大徳寺・建勲神社 御朱印めぐり
地域:

この記事では、京都北大路通沿いにある大徳寺、今宮神社、建勲神社そして千本通を南に進み千本釈迦堂を
まわる御朱印めぐりを紹介しています。

今宮神社

今宮神社は、京都市北区柴野にある神社です。

 

 

社の由緒によりますと、当社地には平安建都以前より疫神(すさのをのみこと)を祀る社があったということです。
平安時代、疫病を鎮めるために各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれたそうです。
有名な八坂神社の祭礼“祇園祭”もその一つ、“祇園御霊会”が正式名称になります。

 

 

 

 

 

一条天皇の御代の正暦五年(994)、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、当社地の疫神を二基の神輿に
齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈ったそうです。
これが“今宮祭”の起源、“紫野御霊会”であり、今宮神社の創建になるそうです。
そしてこの時、京中の老若男女は神輿に供をし、船岡山へ登り、綾傘に風流(風流傘)を施し、囃子に合わ
せて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれます。これが4月の第2日曜日に行われている
“やすらい祭”だそうです。
いただいた見開きの風流な御朱印には、このやすらい祭で使われる“風流傘”が描かれていました。

 

大徳寺

大徳寺は、今宮神社に隣接した京都市北区柴野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山になる寺院です。
山号は龍寶山、本尊は釈迦如来になります。
創建は正中二年(1325)、開基は鎌倉の建長寺などで修業をされた大燈国師(宗峰妙超)になります。
応仁の乱後、一休和尚が再興した寺として知られています。

 

 

大徳寺は、豊臣秀吉の帰依が篤く、また千利休をはじめ、茶の湯文化との関係が深いことでも知られています。
三門(写真上)の二階部分は、千利休の寄進によって増築され「金毛閣」と名付けられましたが、利休の像を
安置したことから豊臣秀吉の怒りをかい、利休切腹の原因の一つになった事は、よく知られています。

京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には三門、仏殿、法堂などが一直線に並ぶ禅宗様式で伽藍が形成
されています。

 

 

三門前にある勅使門は、御所の門を下賜されたもので、寛永十七年(1640)に移築されたもので、
重要文化財に指定されています。

 

 

仏殿は、寛文五年(1655)に再建されたもので重要文化財に指定されています。

 

 

本堂にあたる法堂は、寛永十三年(1636)に再建されたもので、同じく重要文化財に指定されています。

 

 

大徳寺の御朱印は、法堂近くの庫裡の方でいただくことになります。

 

 

いただいた御朱印には、「本朝無双禅苑」と書かれていました。本朝とは日本のこと、日本に二つとない
禅修道場ということかと思います。

 

大徳寺の境内には、20を越える塔頭があります。
大仙院や高桐院などいくつかの塔頭は、小堀遠州作などの名庭園を持つところも多く、一般の拝観が可能で、
塔頭ごとに御朱印をいただくことが出来ます。
下の御朱印は、黄梅院の御朱印です。見開きで「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 人世の姿 写すが如くに」
と、教え言葉が書かれていました。

 

 


建勲神社

建勲神社は、大徳寺から徒歩5分ほどの船岡山の山頂、京都市北区紫野北舟岡町にある祭神に織田信長を
祀る神社です。一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれていますが、正式には「たけいさおじんじゃ」と
読むそうです。
戦国の世から天下統一の大志を抱いて進んだ信長公、国家安泰・万民安堵の大生の神として御神徳、あら
たかなものがあるそうです。
創建は明治二年(1869)、明治天皇の御下命により建てられた神社になります。
船岡東通りの入り口から船岡山(境内)に上がって行きます。

 

 

本殿の前には、吹放ちの拝殿があります。

 

 

拝殿(写真上)の後ろに神門(写真下)、そしてその奥が本殿になります。

 

 

境内には、桶狭間の合戦出陣に際し織田信長公が舞われた「敦盛」の一節、
『人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか 』
を刻んだ歌碑が立っています。

 

 

千本釈迦堂 (大報恩寺)

千本釈迦堂は、千本今出川交差点から徒歩3分ほどの所にある真言宗智山派の寺院で本尊は釈迦如来になります。
山号は瑞応山、寺号は大報恩寺になりますが、嵯峨の釈迦堂(清凉寺)と対比され、「千本釈迦堂」と通称されています。
創建は、鎌倉時代の初め承久三年(1221)求法上人によって開かれたと伝えられています。

 

 

応仁の乱をはじめ、幾多の戦火を免れてきた本堂(写真下)は安貞元年(1227)の建立で、京都市内では
最古の木造建築になり国宝に指定されています。

 

 

霊宝殿には、木造六観音像などの重要文化財が安置されています。六観音とは六道輪廻の思想と観音信仰が
日本で結びついたもので、聖観音や千手観音など六種の観音様が六道に迷う衆生を救うとされています。

千本釈迦堂には、本堂を建てた大工の棟梁を助けたうえ、自ら命を絶った妻のおかめの伝説が残されていて、
本堂や境内にはおかめの像も建てられています。

 

 

いただいた御朱印には、霊宝殿に安置されている「六観音」が墨書きされていました。

 

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