伊勢原大神宮・大山寺・大山阿夫利神社・日向薬師 御朱印めぐり
伊勢原市は、神奈川県のほぼ中央にある人口およそ10万人の市です。
伊勢原という地名は、伊勢神宮の神様を勧請し、奉祭したことから呼ばれるようになったものですす。
伊勢原市の北西部には大山を擁し、江戸時代には大山参りで大変なにぎわいを見せたところでもあります。
今回は、この伊勢原地区の御朱印めぐりにでかけてきました。
伊勢原大神宮
伊勢原大神宮は、伊勢原市伊勢原にあり、所在地名「伊勢原」の元になった神社になります。
社の創建は元和年間(1615~1624)、この地を開拓した伊勢出身の山田曽右衛門が伊勢神宮から祭神を
勧請したことに始まるそうです。それ以来、当地は「伊勢原」と呼ばれるようになったそうです。
当社の主祭神は伊勢神宮と同じ天照皇大御神と豊受姫大神、伊勢神宮と同様、天照皇大御神が内宮に、
豊受姫大神が外宮に、それぞれ祀られています。
お参りも伊勢神宮と同じように、外宮から内宮の順になります。 まずは、外宮になります。
そして、次が内宮になります。
比々多神社
比々多神社(ひびたじんじゃ)は、伊勢原市三ノ宮にある神社です。
相模の国、三之宮になる神社で、地名の「三ノ宮」は、当社にちなんでつけられたものです。
主祭神には、豊国主尊、天明玉命、雅日女尊、日本武尊の4神を祀っています。
社の由緒によりますと、比々多神社の歴史は大変に古く、神社境内地や近隣より出土した遺跡
(発掘された縄文時代中期の環状配石;下谷戸ストーンサークル)などから推測すると、約1万年
以上遡ることができるそうです。 また天保五年(1834)に書かれた「比比多伝記」によりますと、
神武天皇六年(紀元前655年)、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、
丹沢大山を神体山として豊国主尊を日本国霊として祀ったことが、社の創建になるそうです。
訪れたのが10月末、境内では菊花展が開催されていました。
大山寺
伊勢原駅からバスに乗り30分弱、大山ケーブルバス停で下車、ケーブルカーで大山寺、そして
大山阿夫利神社まで登って行くことができますが、今回は、こま参道を15分、女坂を20分ほど
登っていくコースで大山寺に向かいます。 写真は、女坂入口になります。
下の写真は、女坂の途中にある、弘法大師が自らの爪で一夜にして彫り上げたという「爪切り地蔵」になります。
何事も集中すれば、なすことができるという教えだそうです。
大山寺は、神奈川県伊勢原市にある真言宗大覚寺派の寺院です。 天平勝宝7年(755)、聖武天皇の勅願により、
奈良東大寺の別当良弁僧正により、開創されたということです。 山号は雨降山、本尊は不動明王で成田山新勝寺、
高幡山金剛寺とともに『関東三大不動』に数えられ、「大山のお不動さん」と親しまれています。
本尊の不動明王像は、文永11年(1264 年)に願行上人による鉄の鋳造で、国の重要文化財に指定されています。
本堂(写真上)に鎮座する像は、高さ287㎝、重量480㎏、迫力ある荘厳さと威圧感が感じられるそうです。
なお開帳日は、毎月8日、18日、28日に限定されているそうで、残念ながら拝観はできませんでした。
不動明王は心をこめて参拝する人々の現世の悩み,苦難を助けてくださる仏様だそうです。
いただいた御朱印には、“大山鉄不動明王”と書かれています。
御本尊が「黒金(鉄)でできた強い強い不動明王」と言うことかと思います。
大山寺から階段の多い登山道を20分ほど登っていくと大山阿夫利神社に着きます。
大山阿夫利神社は、神奈川県伊勢崎市の大山(別名雨降山)にある神社で、大山山頂(1252m)に本社、
標高700mの中腹に下社(写真下)があります。
社伝によりますと、創建は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代だそうです。
祭神は、大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)、高おかみ神、大雷神(おおいかずちのかみ)で、
それぞれ大山山頂に立つ本社、前社、奥社に祀られています。
大山祗大神は、山の神・水の神として、また大山が航行する船の目印となった事から産業・海運の神
としても信仰され、さらには酒解神として、酒造の祖神としても信仰されています。
高おかみ神は水神様、大雷神は雷の神様です。
下の写真は、下社の御朱印です。
下社から本社のある山頂までは、ブナやモミの原生林の生い茂り、岩場の多い登山道を一時間半ほど
登っていくことになります。 本社でも御朱印をいただくことができます。
日向薬師
日向薬師(ひなたやくし)は、神奈川県伊勢原市日向にある真言宗の寺院で、山号は日向山、正式名称は
「宝城坊」になります。 寺伝によりますと、奈良時代初頭の霊亀2年(716)に、僧行基が薬師如来のお告げ
により、相模国のこの地に、日向山 霊山寺(りょうぜんじ)を開山したことが始まりだそうです。
日向薬師のバス停から、表参道を進んでいくと二体の仁王像が並ぶ山門があります。
さらに、階段の多い参道(写真下)を500メートルほど進むと本堂になります。
本尊は薬師三尊像で『日向薬師』の名で親しまれ、日本三薬師の一つに数えられている霊場です。
薬師信仰は奈良時代に盛んになり全国に広まりました。 薬師如来は東方瑠璃山(とうほうるりせん)
に在って現世のご利益を願う尊(ほとけ)です。
人々の心の安らぎ、和やかさ、健やかさの加護を願う尊として人々の信仰をうけているわけです。
本堂である薬師堂は、旧霊山寺の別当坊である宝城坊が霊山寺の本堂を引きついたもので、1660年
に大規模改修されたものが現存しています。
単層茅葺屋根で創られた、荘厳な趣のある建物だそうですが、残念ながら、現在平成の大修繕中で、
本堂の拝観はできませんでした。
宝物殿(写真上)前でいただいた御朱印には、ご本尊の“薬師如来”と記されていました。
なお、宝物殿の屋根にかかるように、“白雲木”(写真下)の木が伸び、おりしも5月初旬、白雲木が
藤の花のような、白いか細い花をつけていました。