護国寺・法華経寺・安國寺・首里観音堂・神徳寺 御朱印めぐり
この記事では、沖縄県那覇市にある主だった寺院をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
護国寺
護国寺は、ゆいレール旭橋駅から北西方向へ徒歩で15分ほどの那覇市若狭にある高野山真言宗の寺院です。
山号は波上山、本尊は聖観世音菩薩になります。
創建は、正平二十三年(1368)、開山は薩摩の国の一乗院より来られた頼重法印になるそうで、
現存する沖縄の寺院のうち、最も古い寺院になります。以後琉球国王の祈願寺になってきたそうです。
沖縄戦の際、海岸に近い当寺は艦砲射撃をまともに受け、戦前の建物や仏像、資料等の全てを焼失してしまい、
現在の本堂は昭和五十年ごろに再建されたものです。
いただいた御朱印には、「南無聖観音」と書かれていました。
神徳寺
神徳寺は、ゆいレールおもろまち駅から南西へ徒歩数分の那覇市字安里にある東寺真言宗の寺院です。
山号は高明山、本尊は不動明王になります。 創建は、15世紀と伝わる歴史のある寺です。
境内は、新都心に近く、マンションなどに囲まれていますが、ここだけは閑静な空間を保っています。
本堂は赤瓦葺きで沖縄の寺院らしい趣を醸し出しています。
いただいた御朱印には、本尊の「不動明王」が書かれていました。
法華経寺
法華経寺は、ゆいレールおもろまち駅から徒歩3分ほどの、那覇市安里にある日蓮宗の寺院で、山号は流球山になります.
法華経寺は、日蓮宗が沖縄での布教を目的に、昭和50年に浦添市に布教所を開所、昭和56年、
日蓮聖人700遠忌の年に、この地に“琉球山法華経寺”をスタートさせたのが始まりです。
現在も日蓮宗の道場、また青少年の自力更生の施設として、社会に重要な役割を果たしている寺院です。
いただいた御朱印には、「南無法蓮華経」のお題目と共に「命の花 大道常坦々」書かれていました。
慈眼院 (首里観音堂)
慈眼院は、首里城の入口;守礼門に続く道を西へ1キロほどの那覇市首里山川町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
本尊は千手観音菩薩、通称として「首里観音堂」と呼ばれています。
寺の縁起によりますと、創建は琉球王朝時代の1618年になります。
琉球王朝の佐敷王子が人質として薩摩に連れていかれた際、父尚久王が、息子が無事帰還したら
“観音堂”を建てることを請願したそうです。
その後、無事帰郷したので、高台に観音堂を建て、その南に慈眼院を建立したのが寺の始まりになるようです。
大東亜戦争の沖縄戦で社殿は消失し、現在の本堂(写真下)などは、戦後再建されたもになります。
いただいた御朱印には、本尊の「千手観音」と書かれていました。
安國寺
安國寺は、慈眼院から首里城に向かって500メートルほど行った所、那覇市首里寒川町にある
臨済宗妙心寺派の寺院です。
山号は太平山、本尊は不動明王になります。
寺の歴史によりますと創建は天順元年(1457)、琉球王朝の尚泰久王が建立した禅寺になります。
現在の本堂は、2009年に再建されたものになります。
この本堂は、寺院建築では沖縄史上最大の建築物で、木造建築としては、首里城に次ぐものになるようです。
本堂前には、立派ながじゅまるの木が茂っていました。
いただいた御朱印には、「不動明王」と書かれていました。
安國寺前の道を東へ500メートルほど進むと首里城になります。
下の写真は、首里城の写真にはなくてはならない守礼門になります。
そして首里城の正殿になります。
正殿近くの城壁上から西の方角を写したものです。
成田山福泉寺
成田山福泉寺は、沖縄の中部、中城城址(写真下)にほど近い中城村にある千葉の成田山新勝寺の末寺になる寺院で、
沖縄では「成田山」の名前で親しまれているお寺です。
本尊は、成田山新勝寺の本尊分霊を勧請した不動明王になります。創建は昭和五十年(1975)になります。
那覇市波之上宮、護国神社とならんで初詣のスポットとして人気があり、毎年20万人近い参拝客で、にぎあうそうです。
太平洋の海原から登る初日の出は、一年の始まりにふさわしい清々しさと荘厳さを感じさせてくれるそうです。
下の写真は、本堂から見た太平洋になります。
下の写真は、中城城址に咲くハイビスカスです。