信州 諏訪大社 御朱印めぐり
諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺に、二社四宮(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮)を構える神社です。
信濃の国一之宮に列せられ、全国に25,000社ほどあるといわれる諏訪神社の総本社になります。
創建の年代は不詳とのことですが、日本最古の神社の一つといわれるほど古くから存在する神社です。
主祭神に、大国主命の次男であり、国譲りの際、武甕槌命に負けてしまい、諏訪まで逃れたと伝えら
れる建御名方神と地主神である八坂刀売神の2柱になります。
ただし個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪明神」として崇められていて、五穀豊穣、
武勇の神、そして生命や生活の源を守る神として信仰を集めているようです。
諏訪大社の社殿の周りには、御柱(おんばしら)と呼ぶ4本の樅の柱が立てられていて、6年に一度、
建て替えられるそうです。 御柱祭は、山中から樅の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)
切り出し、4箇所の各宮まで曳行し社殿の四方に立てて神木とする勇壮な大祭であり、多くの観光客を集め
るお祭りです。
下の写真は、上社本宮と春宮の一の御柱です。
上社本宮
上社本宮は、JR中央線上諏訪駅から東南へ六キロ、諏訪市中洲宮山にあり,主祭神に大国主命の御子神
「建御名方神」を祀っています。
本宮には、本殿はなく拝殿後の林(通称 御山)をご神体としています。
社殿は、幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式で建てられていて重要文化財
に指定されています。 現在社殿は修繕中で、拝所での参拝になります。
重要文化財の四脚門や東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物がありますが、現在修繕中で拝観はできませんでした。
宝殿からはどんなに晴れていても必ず日に3滴雫が落ちるといわれ、諏訪大神が水の守護神として崇敬される根元にも
なっているようです。下の写真は、渡り廊下「布橋」と藁ぶき屋根の「東宝殿」になります。
勅願殿は、神霊が宿るという守屋山に祈願するために元禄三年(1690)に建てられた建物です。
上社前宮
前宮は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する神社で、諏訪の祭祀の発祥地とされているところで、主祭神に
建御名方神の妃「八坂刀売神」を祀っています。
この地では代々多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれ、諏訪地方の政治の中心地であったようです。
現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されています。
四宮の内、前宮だけは本殿を有しています。下の写真は、本殿の前にある拝所になります。
下の写真は、上社の例祭“御頭祭”が行われる「十間廊」になります。
下社秋宮
下社秋宮は、諏訪湖の北岸、下諏訪町に鎮座し、主祭神に「建御名方神」と「八坂刀売神」を祀っています。
境内にある社殿4棟は、国の重要文化財に指定されています。 幣拝殿は安永十年(1781)に建てられた建物で、
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りになっていて、左右に片拝殿が並んでいます。
本殿はなく、こちらから“イチイ”のご神木を拝することになります。
神楽殿は、天保六年(1835)に建てられたものです。
神楽殿前の狛犬は青銅製では、日本一という身長170センチのものだそうです。
下社春宮
春宮は、JR下諏訪駅から徒歩でおよそ15分、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1kmの地に鎮座しています。
主祭神には、秋宮と同じ「建御名方神」と「八坂刀売神」を祀っています。
途中、御手洗川に架っている太鼓橋「下馬橋」は、室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のものになるそうです。
途中、御手洗川に架っている太鼓橋「下馬橋」は、室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のものになるそうです。
入口の御影石の大鳥居は、万治二年(1656)の建立になるそうです。
弊拝殿は、安永九年(1790)に建てられたもので、重要文化財に指定されています。
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿が並んでいます。
本殿はなく、杉の神木をご神体として拝することになります。
弊拝殿の前には、神様に神楽を奉納する時に使う神楽殿が控えています。
春宮に向かって左奥200メートル程度の所には、芸術家の岡本太郎も絶賛したという江戸時代初めの
万治年間に造られたという「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」と呼ばれる石仏があります。
伝説によりますと、春宮の鳥居を作ろうとこの石にのみを入れたところ、傷口から血が出てきたため、
職人たちは祟りを恐れ“阿弥陀如来”として祀ったものだそうです。
この石仏には、のみの跡が残っているそうです。
なお、四社参りを終えたということで、諏訪大社さんから“落雁”をいただいて帰ってきました。