善光寺は、長野駅から北へ徒歩およそ15分、長野市元善町にある寺院です。
山号は定額山、本尊は、住職さえも見ることができないといわれる絶対秘仏、一光三尊阿弥陀如来になります。
善光寺は無宗派の仏教寺院ですが、寺の運営は、天台宗系の「大勧進」と25の子院、そして浄土宗系の「大本願」
と14坊によってなされているそうです。
住職は二人で、「大勧進」は比叡山延暦寺から推挙された僧侶が務め、「大本願」は尼寺で、住職は代々皇室関係
の人が務めているそうです。
寺の案内によりますと、本尊の一光三尊阿弥陀如来は、欽明天皇十三年(552)、日本に百済から仏教が
伝えられた折にインドから来た日本最古の仏像であるそうです。
この仏像は、仏教の受容を巡って争いが起こった時、廃仏派の物部氏によって難波の堀江という所に捨て
られたそうです。それを信濃の国司の従者であった本田善光という方が信濃の国へ持ち帰り祀り、後の
皇極天皇三年(644)に、勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられた
のが寺の始まりになるそうです。
とりわけ浄土信仰が盛んになった平安時代末期には、善光寺聖と呼ばれる民間僧が本尊の分身仏を背負い、
全国各地を遍歴しながら民衆の間に善光寺信仰を広めていったそうです。
江戸時代には、「一生に一度は善光寺詣り」をと信仰が盛んになりましたが、当時から一貫して男女平等
の救済を説く寺院として知られ、女性の参拝者が多いことが善光寺詣りの特徴だそうです。
大本願
石畳の参道を歩いていくと仁王門の前の左手に、大本願が見えてきます。
大本願は、蘇我馬子の娘といわれる尊光上人を開山とし、1400年にわたり代々尼公上人が住職を務め、
善光寺如来につかえてこられたそうです。 大本願の住職は、大勧進の貫主と共に善光寺住職を兼ねており、
毎朝善光寺本堂で行われるお勤めに出られているそうです。
大本願には、本誓殿・奥書殿・明照殿・表書院・宝物館、文殊堂などがあります。
いただいた御朱印の一つは、善光寺の本尊、三国伝来「善光寺本師如来」になります。
もう一つが、文殊堂(写真下)に祀られている「文殊菩薩」の御朱印です。
仁王門と山門
大本願の先には、仁王門があります。 現在の仁王門は大正七年(1918)に再建されたものになります。
「定額山」という山号が掲げられています。
仁王門からまっすぐ参道を進み駒反橋を過ぎたところに山門(写真下)があります。