九品仏・等々力不動尊・満願寺・玉川大師 御朱印めぐり
この記事では、九品仏(浄真寺)からスタート、等々力の等々力不動尊、二子玉川の玉川大師など
東急大井町線界隈の御朱印めぐりを紹介しています。
浄真寺 (九品仏)
浄真寺は、東急大井町線九品仏駅から徒歩3分程度の世田谷区奥沢七丁目にある浄土宗の寺院です。
山号は九品山、本尊は釈迦如来になります。
浄真寺の境内は、戦国時代に奥沢城があった所と伝えられていますが、延宝六年(1678)に珂碩上人
がこの地に浄真寺を開いたのが始まりだそうです。仁王門の近くには、「奥沢城跡」の碑がたっています。
駅前を北へ進むとすぐに参道に入ります。
参道を100メートルほど行くと総門があります。
さらに右手に閻魔堂を見ながら進むと仁王門が迎えてくれます。
仁王門の先右手には、本尊釈迦如来を安置するどっしりした本堂、そして左手には鐘楼があります。
下の写真は、正面に建つ上品堂から見た本堂になります。
本堂の前に3つの阿弥陀堂(上品堂、中品堂、下品堂)があり、それぞれに3体合計9体の阿弥陀如来像が
安置されていて、この9体は、浄土教における極楽往生の際の九つの階位を表したものだそうで、9体を
合わせて9品というようです。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれているわけです。
下の写真は、本堂から見た上品堂になります。
本堂でいただいた御朱印には、9体の阿弥陀様の印が押され、「九品阿弥陀佛」と書かれていました。
浄真寺には、「お面かぶり」と呼ばれる行事があります。正式には「二十五菩薩来迎会」といい、
3年に一度、本堂と上品堂の間に渡された橋を25人の菩薩の面をかぶった信者らが渡るというものです。
菩薩の来迎の様子を表すものだそうです。
下の写真は、橋を渡るお面かぶりの行列になります。
訪れた2014年8月16日は、「お面かぶり」の当日、この日限定の「お面かぶり」の御朱印をいただいてきました。
次回いただけるのは2017年8月16日になります。
等々力不動尊
等々力不動尊は、東急大井町線等々力駅から南へ徒歩8分程度の世田谷区等々力一丁目にある本尊に
不動明王を祀る流轟山明王院という寺院で、等々力三丁目にある満願寺の別院になります。
境内に等々力渓谷を擁し、「等々力のお不動さん」として親しまれています。
開創は今から800年ほど前、真言宗中興の祖と言われる興行大師が、夢のお告げに従い、
ここに不動堂を建立したのが始まりだそうです。
現在の不動堂は、江戸末期に建てられたものだそうです。
本堂の下には等々力渓谷と呼ばれる谷沢川が流れています。
等々力渓谷は桜の名勝として知られ、緑深い樹林の中を谷沢川の流れが都内では数少ない渓谷を作っています。
ちょうど本堂の裏にあたるあたりに「不動の滝」があります。
不動の滝は涸れる事なく、谷沢川に注いでいます。この滝は、以前は水量も多かったそうで、
等々力という地名は、この滝の轟く(とどろく)音から来たとも言われています。
いただいた御朱印には、「不動尊」と書かれていました。
満願寺
満願寺は、東急大井町線の等々力駅から北へ徒歩5分程度の世田谷区等々力3丁目にある真言宗智山派
の寺院です。山号は致航山、本尊は金剛界大日如来になります。
寺の縁起によりますと平安時代末の創建になるそうです。そして室町時代、吉良氏の祈願寺として
満願寺は現在の地に移され、中興されたそうです。
松が植えられた山門(写真上)を入れば本堂を正面に右手に庫裡、左手に講堂が並んでいます。
現在の本堂(写真下)は、数寄屋作りで建てられた昭和を代表する名建築物になるそうです。
日本三体地蔵といわれた満願寺の一言地蔵尊は、講堂(写真下)に安置され一言祈願すると願いが叶うそうです。
拝観はできませんが、本堂の奥に建つ大塔は、平成2年に総檜作りで建てられたものです。
いただいた御朱印には、本尊の「大日如来」と書かれていました。
玉川神社
玉川神社は、満願寺から北へ100メートルほどの世田谷区等々力三丁目にある神社です。
社の沿革によりますと、創建は文亀年間(1501~1504)に熊野大社を勧請したことが始まりだそうです。
明治四十年に村内に奉祀されていた神明社、御嶽社、諏訪社の三社を合祀し、同時に地名から
玉川神社と改称し今日に至っているそうです。
現在の主祭神は、伊弉諾尊(いざなぎみこと)、伊弉冊尊(いざなみみこと)、天照皇大神になるようです。
境内には、以前は重たい手水の水舎を肩にのせて支えていたという4体の「がまん様」が置かれています。
水舎の下で長年頑張ってきた「がまん様」、水舎の重みで肩が平らになってしまっていますが、社の人に
よりますと新しい水舎ができ、「肩の荷をおろしていただいた」そうです。
玉川大師 (玉真院)
玉川大師は、二子玉川の駅から北へ7分程度の世田谷区瀬田にある真言宗智山派の寺院です。
正式には院号で「玉真院」が正式名称で、山号は寶泉山、本尊は弘法大師像になります。
新しいお寺で、大正十四年(1925)、竜海阿闍梨の開基で大師堂が建立され、昭和九年に地下
に仏殿;遍照金剛殿が完成したそうです。
奥ノ院地下霊場遍照金剛殿は、深さ5メートル、長さ100メートルに及ぶ地下洞窟になっています。
こちらには四国八十八か所霊場や西国三十三観音霊場などの石仏およそ300体が安置されていて、
東京で四国八十八か所めぐりや西国観音霊場巡りなどができる趣向になっています。
写真撮影は不可のためお見せできませんが、暗黒の細い通路を右手を頼りに手さぐりで進むと、各霊場
の石仏とともに、本尊の弘法大師像や大日如来像が現れます。
いただいた御朱印には「遍照尊」と書かれていました。
「遍照金剛」は密教では、光明があまねく照らし、 金剛のように不滅であるところから“大日如来”
のことをいいます。弘法大師空海は、この「遍照金剛」の灌頂名を与えられ、のちに真言宗では
弘法大師を尊崇するご宝号として唱えられるようになっています。