智恩寺・成相寺・籠神社 天橋立界隈 御朱印めぐり
天橋立とは、京都府宮津市にある宮津湾と内海の阿蘇海を南北にへだてる全長3.6キロメートル
の砂州を言います。
白砂と黒松が織りなす景観は、日本三景の一つに数えられていて、平安時代の歌人、小式部内侍
(和泉式部の娘)の歌にも「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」とうたわれ
ているほどです。
砂州の中ほどには、不思議な事に日本名水百選に選ばれている「磯清水」という真水が湧いていて、
平安時代に和泉式部が「橋立の 松の下なる磯清水 都なりせば 君も汲ままし」という歌を残しています。
下の写真は、天橋立ビューランドから見た天橋立になります。
下の写真は、ビューロランドから”股のぞき”をしてみた龍が天に舞い上がる
姿に見えるという「飛龍観」になります。
この記事では、智恩寺、成相寺、籠神社の天橋立近くの寺社の御朱印めぐりを紹介します。
智恩寺
智恩寺は、日本三景の一つ「天橋立」のたもと、京都府宮津市にある臨済宗の寺院です。
山号は天橋山、本尊は文殊菩薩になり、日本三文殊の一つと言われています。
山門は明和四年(1767)に再建されたもので、再建にあたって後桜町天皇から黄金を下賜された
ことによって「黄金閣」と称されています。
本堂である文殊堂は、中世に建てられたものを江戸時代初期に大規模修理をして現在につたえて
いるものだそうです。
多宝塔は、室町時代に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
境内の多宝塔の近くには三体の石仏が立っています。この石仏は、雪舟が描いた「天橋立図」に
も描かれているそうです。
いただいた御朱印には、「文殊大士」と書かれていました。
成相寺
成相寺は、天橋立を望む成相山の中腹、京都府宮津市にある真言宗の寺院です。
山号は成相山、本尊は聖観世音菩薩、西国三十三観音霊場の第28番札所になっています。
本尊の聖観世音菩薩は、「美人観音」また観音様が身を削って餓える僧を助けたという伝説が残る
「身代わり観音」と呼ばれています。
また“成相寺”、願い事が必ず成り相う(かなう)お寺としても信仰を集めています。
寺の案内によりますと、創建は慶雲元年(704)、文武天皇の勅願により真応上人が創建したと
伝えられています。
山門は仁王門になります。
現在の本堂は、安永三年(1774)に再建されたもので、正面には千鳥破風、軒唐破風の装飾があります。
堂内には、平安時代作の本尊木造聖観世音菩薩が安置されています。
山門近くにある五重塔は、平成に入って建てられたものですが、鎌倉時代の形式で再現した木造の
塔になります。
本堂からさらに上に車で登ると展望所があり、天橋立を一望することができます。
いただいた御朱印には、観音様を安置する本堂の別名か「圓通閣」と書かれていました。
籠神社
籠神社は、天橋立の北浜、京都府宮津市にある丹後の国一宮に列せられる神社です。
「元伊勢籠神社」とも称され、伊勢神宮と密接な関係があった神社になります。
主祭神には、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神を、神代の時代に丹後にお祀りしたと伝えら
れる彦火明命 (ひこほあかりのみこと)を祀っています。
社の紹介によりますと「元伊勢」とは、天照大神が宮中を出て伊勢の現在の内宮に鎮座される
まで皇女が天照大神の籠もられた御神鏡を持ち各地を巡幸したそうです。
その時、一時的に天照大神をお祀りした二十数カ所の宮々のことを元伊勢というそうです。
また、今から1500年ほど前に、丹後国の魚井原(まないはら)にいた丹波道主の娘・八乎止女が
お祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢(外宮)に迎えられたそうで、この丹波
の魚井原で豊受大神をお祀りしていた宮(現在の籠神社、奥宮真名井神社)のことも「元伊勢」と云うそうです。
一の鳥居、ニの鳥居(写真上)を抜けると神門になります。
神門の前に立つ石造の狛犬は、安土桃山時代の作で国の重要文化財に指定されています。
写真は阿形の狛犬になります。
社殿は凛々しい神明造りで、現在のものは弘化二年(1845)に再建されたものになります。
いただいた御朱印には、「元伊勢宮」と書かれていました。