会津 御朱印めぐり
この記事では、戊辰戦争の折、会津飯盛山で自刃した白虎隊士が祀られている宇賀神堂、
会津の総鎮守として崇拝されている伊佐須美神社の御朱印めぐりを紹介しています。
宇賀神堂
宇賀神堂は飯盛山の中腹、会津藩士の若い子弟たちで構成された白虎隊の自刃地、また
白虎隊士19人が眠る墓の近くに立つお堂です。
白虎隊はここ飯盛山から会津城下(写真下)を見て、武家屋敷等が燃えているのを落城と
錯覚し、もはや帰るところはないと死を決意したそうです。
白虎隊士自刃の地には、鶴ヶ城を見る隊士の像も建てられています。
また近くには、白虎隊士19人の墓が建てられています。
宇賀神堂の創建は江戸時代初期の寛文年間(1661~1672)に、会津藩三代藩主松平正容
が宇賀神(弁財天と同神と言われる神で、穀物・食物を司り五穀豊穣に御利益がある)を勧請し、
弁財天像を神像として社殿を建立した事に始まるそうです。
そして明治二十三年(1890)、白虎隊士の墓を改修した時に、飯盛山で自刃した19人の霊像を
安置したそうです。
いただいた御朱印には、「白虎隊十九士霊神」とスタンプで記されていました。
宇賀神堂の同じ境内には、会津の代表的な観光名所の一つである「さざえ堂」があります。
さざえ堂は、上りと下りで同じ道を通らず抜けてこられる二重らせん構造の斜路が続く木造の
お堂で、国の重要文化財に指定されています。
下の写真は、鶴ヶ城になります。
伊佐須美神社
伊佐須美神社は福島県会津美里町にある神社です。会津の総鎮守として昔から住民の崇敬を
受けてきた神社です。
社の歴史によりますと創建は紀元前、四道将軍の父子がそれぞれの道をたどり、蝦夷を平定
した後、この地で出会ったことから「会津」という地名が起こったと伝えられています。
この時、国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の
御神楽岳に奉祀したそうです。これが伊佐須美神社の起源とされています。
その後、欽明天皇十三年(552)に現在の地に遷座したそうです。
入口には、主の鳥居が建っています。
鳥居を抜けると立派な楼門が迎えてくれます。
社殿は、2008年に火災により焼失、現在は仮本殿での参拝になります。
伊佐須美神社の御神木は薄墨桜になります。この桜は会津五桜の一つで、「香りの薄墨桜」
と言われていて、開花すると神社境内は桜の香りに包まれるそうです。
薄墨桜のそばには、「世の人の 心や深く染めぬらん うすずみ桜 あかね色香に」と
最後の会津藩主、京都守護職松平容保の歌碑が建っていました。
いただいた御朱印は薄墨で個性たっぷり、楽しい気持ちにさせてくれる御朱印です。
私には解読するが難しい御朱印ですが、左側には「平成二十六年五月三十日」の参拝日、
中央には薄墨で「伊佐須美神社」と書かれてあるそうです。