長岡天満宮・光明寺・乙訓寺・善峯寺 御朱印めぐり
この記事では、長岡京市にある長岡天満宮から乙訓寺、光明寺、善峯寺、大原野神社、
そして勝持寺を巡る御朱印めぐりの旅を紹介します。
長岡天満宮
長岡天満宮は、阪急京都線長岡天神駅から徒歩10分、京都府長岡京市にある菅原道真公を祀る
神社です。
長岡京は延暦三年(784)に、桓武天皇が平城京から都を移し、長岡京を造営した所になります。
長岡天満宮の地は、元々菅原道真公の所領であったとされ、左遷された時、この地に立ち寄り、
「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故により、道真公自作の木像をお祀り
したのが当社の創立になるそうです。
現在の社殿は、京都の平安神宮の社殿を移築したものになるそうです。
寛永十五年(1638)、八条宮智仁親王によって「八条が池」(写真下)が築造され、中堤両側に
「きりしまつつじ」が多数植えられており、その見事さは格別のようです。
乙訓寺
乙訓寺は、阪急京都線長岡天神駅からおよそ1キロメートル、長岡京市にある真言宗豊山派の寺院です。
毎年4月中旬から5月上旬にかけておよそ2000株のぼたんが境内いっぱいに咲き誇り、ぼたんの
名所としても知られています。下の写真は、牡丹苑から本堂を見たものです。
山号は大慈山、本尊は合体大師になります。
創建は今からおよそ1400年前だそうで、推古天皇の勅願、聖徳太子の創建と伝えられる寺院です。
弘仁ニ年(811)には、弘法大師空海が当寺の別当に任じられ、住まいしていたそうです。
いただいた御朱印には、「南無合体大師」と書かれていました。合体大師とは弘法大師と
八幡大菩薩の文字通り合体したものになります。
光明寺
光明寺は、西山の山裾、長岡京市粟生にある西山浄土宗の総本山になる寺院です。
山号は報国山、本尊は阿弥陀如来になります。
浄土宗の祖、法然上人が初めて念仏の教えを説いた地として知られています。
「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に唱えれば必ず救われる」という法然の教えに心酔した、
武士の熊谷直実が出家し、建久九年(1198)この地に、念仏三昧堂を建立したのが、光明寺の
始まりになるそうです。
建暦二年(1212)、法然上人がなくなり、遺骸をこの地で荼毘に付し、寺の裏山にご芳骨を納め
御廟堂が建てられたそうです。またその時、法然上人の遺骸が納まっていた石棺から、まばゆい
光明が発せられたということから、これ以後念仏三昧院は光明寺と称されるようになったそうです。
光明寺の本堂である御影堂(写真上)の裏には御廟堂があり、法然上人の遺骨を安置しています。
また御影堂の右横、阿弥陀堂(写真下)の前には、法然上人の遺骸を納めていた石棺も残っています。
光明寺は、まさに浄土宗の聖地と言えそうです。
いただいた御朱印には、「浄土門根元地」と書かれていました。
光明寺の参道は表参道ともみじ参道の二つがあります。表参道は趣のある石段の道が続いています。
もみじ参道は、西山の風情が残る紅葉の名所として知られています。
善峯寺
善峯寺は、長岡天神駅から車でおよそ20分、京都市西京区大原野にある寺院です。
山号は西山、本尊は十一面千手観音菩薩で西国三十三観音霊場の20番札所になります。
創建は、長元二年(1029)、比叡山の恵心僧都に師事した源算上人により開かれた寺になります。
応仁の乱で伽藍のほとんどが消失しましたが、江戸時代に再興されたそうです。
駐車場に車をとめ、山門から境内に入ります。
山門から石段を上った正面に観音堂(本堂)が建っています。
山門と観音堂は元禄五年(1692)の再建になるそうです。
観音堂で御朱印をいただきましたが、御朱印には「大悲殿」と書かれていました。
現存する最古の建物は多宝塔、元和七年(1621)の建立されたもので、国の重要文化財に
指定されています。
多宝塔の前には、「遊龍の松」と呼ばれる龍が地を這うように全長50メートルほどに伸びた
五葉松があり、天念記念物になっています。
多宝塔から100mほど進んだ所には、「白山桜あじさい苑」があります。訪れたのは6月中旬、
丁度あたり一面、あじさいが見ごろを迎えていました。
境内は西山の中腹、境内の至る所から京都市街を一望することが出来ます。
大原野神社
大原野神社は、京都市西京区大原野にある神社です。
神社の創建は延暦三年(784)、桓武天皇が奈良から長岡京へ遷都した際、藤原氏が奈良の
春日大社から分霊を勧請し祀ったのが始まりだそうで、春日大社と同じ春日神が祭神になります。
境内の南側に一の鳥居があります。
参道を歩くと右手に奈良の猿沢の池を模して造ったといわれる「鯉沢の池」があります。
拝み所は本殿前の中門になります。
春日大社の神様のお使いは鹿、こちらの狛犬は、鹿になります。
勝持寺
勝持寺は、京都市西京区大原野にある天台宗の寺院です。山号は小塩山、本尊は薬師瑠璃光如来
になります。
寺の沿革によりますと、創建は白鳳八年(679)天武天皇の勅願により、神変大菩薩役の行者が創建
したのが始まりで、延暦十年(791)に伝教大師最澄が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建したそうです。
阿弥陀堂が本堂になります。
勝持寺の境内にはおよそ100本の桜の木が植わっていて、古くから桜の名所として知られています。
阿弥陀堂の前には、この寺で出家した元北面の武士、歌人“西行”が植えたという「西行桜」があります。
いただいた御朱印には、本尊の「薬師如来」と書かれていました。