楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 大山崎周辺 御朱印めぐり
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京都 大山崎周辺 御朱印めぐり

京都府山崎は、平安時代は山城の国の国府がおかれた所で、京の西玄関口として発展してきました。
戦国時代の終わりには、「天下分け目の天王山」として知られる羽柴秀吉と明智光秀の「山崎の戦」
の舞台としても有名です。江戸時代は、岩清水八幡宮の神領として賑わいを見せています。

このこの記事では、歴史を感じる大山崎界隈を巡る御朱印めぐりの旅を紹介します。

山崎聖天 (観音寺)

山崎聖天は、山崎駅から徒歩15分ほどの天王山の東側山腹、京都府大山崎町にある真言宗系の寺院です。

山号は妙音山、寺名は正式には観音寺になりますが、「山崎の聖天さん」と親しみを持って呼ばれて
います。

山崎聖天仁王門

寺の由緒によりますと、創建は昌泰二年(899)、寛平法皇によるそうですがまもなく衰退、
江戸時代に入り、十一面千手観音菩薩を本尊として勝尾寺の木食上人によって再興されたそうです。

またその後、勧喜天を祀り、天皇家の他、商売繁盛を願う京都や堺の商人の信仰を得て発展し、
江戸時代は、この勧喜天信仰により「山崎の聖天さん」として大いに信仰
を集めたそうです。

境内にある建物は、江戸時代末(1864)に起きた禁門の変(蛤御門の変)の余波ですべて焼失し、
現在の建物は明治になって再建されたものになるそうです。下の写真は、本堂になります。

山崎聖天本堂

聖天堂は天皇の命により神社造で建てられています。

山崎聖天聖天堂

お寺でありながら鳥居があり、一の鳥居には観音寺、二の鳥居には聖天宮の扁額が掛かっています。

山崎聖天鳥居

いただいた御朱印には、「勧喜天」を表す梵字が書かれていました。

山崎聖天朱印

宝積寺

宝積寺は、JR京都線山崎駅から徒歩7分程度、天王山の山頂に上る登山道の途中にある
真言宗智山派の寺院です。
本尊は十一面観音で、聖武天皇が龍神から請来された「打出」と「小槌」を祀るために、
勅命を受けた行基により開かれた寺
と伝えられています。

龍神から授かったというお宝を祀っているため“宝寺”とも呼ばれています

山門である仁王門には、重要文化財に指定されている金剛力士像がその威容を誇っています。

宝寺仁王門

本堂には、重要文化財である木造の十一面観音立像が安置されています。

宝寺本堂

秀吉が一日で建てたと伝わる三重塔も重要文化財に指定されています。

宝寺三重塔

本堂に向かって左側に建つのが「小槌宮」で、こちらに大黒天が祀られ、打出と小槌もこちらに
おさめられています。

宝寺大黒天堂正

聖武天皇が夢で打出と小槌を振ると小銭がたくさん出てきたとの言い伝えがあるそうです。

また、こちらでは「打出」と「小槌」は別々なものになっていますが、御伽話の“一寸法師”に出て
くる「打出の小槌」の原型ともいわれ、一寸法師がこちらで修行をしたとの言い伝えもあるそうです。

そんなこんなで宝積寺は、「金運を授かるお寺」「商売繁盛のお寺」として信仰を集めています。

宝寺大黒天

天下分け目の天王山」という言葉の語源にもなった“天王山”は、羽柴秀吉と明智光秀が戦った
「山崎の戦い」の舞台であり、その際、宝積寺には秀吉の本陣が置かれたそうです。
境内には、秀吉が腰をおろしたと伝わる「出世石」が置かれていました。

宝寺出世石

いただいた御朱印は二つになります。

一つは、本尊の「十一面観音」です。

 宝寺朱印

そしてもう一つには、「龍神伝来」と書かれていました。

宝寺龍神朱印

石清水八幡宮

石清水八幡宮は、“やわたのはちまんさん”と親しまれている京都府八幡市にある神社です。
木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで大山崎、天王山と対峙する位置
にある
男山(標高143m)の山上に鎮座しています。下の写真は、男山山上からの写真です。

石清水八幡宮眺め

創建は、平安時代の初め貞観2年(860)であり、八幡宮の総本社である宇佐神宮から勧請
されたものです。

朝廷に、京都の南西の裏鬼門を守護する神、王権・水運の神として崇敬され、また源氏に篤く
信仰され、当社から勧請されて鶴岡八幡宮などが建てられています。

境内は、山上の本宮のある上院と、山麓の頓宮などのある下院とに分けられます。本殿をはじめ建造物の多くが、国の重要文化財に指定されています。

下の写真は、南総門になります。

石清水八幡宮門

その奥に見えるのが、“八幡造り”と言われる独特の建物で、楼門から先へ社殿が続いています。

石清水八幡宮本殿

いただいた御朱印には、「八幡大神」 と書かれていました。

石清水八幡宮朱印

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