阿伏兎観音・対潮楼・明王院 御朱印めぐり
福山は、広島県の東端の瀬戸内沿いに位置する人口46万人余りの大きな街です。
山陽道の宿場町、そして万葉集にも詠まれているように鞆の浦は古代から風待ち、潮待ちの港として、
瀬戸内航路の重要な位置を占めてきたところです。
この記事では、鞆の浦地区を中心に福山市内の寺社を巡る御朱印の旅を紹介します。
磐台寺 (阿伏兎観音)
磐台寺は、福山市沼隈町、沼隈半島の南端、阿伏兎岬の上に建てられた臨済宗妙心寺派の寺院です。
山号は海潮山、本尊は十一面観音になります。
阿伏兎岬に建つので一般的には、”阿伏兎観音”と呼ばれています。
江戸時代の歌川広重が浮世絵に描いたり、昭和の初めには記念切手にも登場したこともある優美な姿の朱塗りの観音堂です。
創建は正暦三年(992)、花山法皇が海の安全を願って十一面観音を祀ったのが始まりということです。
源平合戦により寺は衰退しましたが、江戸時代の初め福山藩主の保護を受け石垣や鐘楼、回廊などの整備
が進みほぼ現在の姿になったそうです。下の写真は、観音堂から瀬戸内海を見たものです。
阿伏兎観音は、安産・子育ての観音様として広く信仰を集めており、観音堂の中には女性の乳房の形を
した絵馬が多数奉納されています。
阿伏兎岬の突端には、石塔も建っています。
いただいた御朱印には、本尊の観音様をお祀りしているお堂“大悲閣”と墨書きされていました。
医王寺
医王寺は、福山市鞆町後地にある真言宗の寺院です。山号は桃林山、本尊は薬師如来になります。
平安時代初期、天長三年(826)、弘法大師空海により創建された古刹になります。
本堂には、本尊の薬師如来立像が安置されています。
鐘楼は、寛永二十年(1642)に福山城主、水野勝成公から寄進されたもにになります。
寺は高台にあり、境内からは鞆の浦が一望できます。
いただいた御朱印には、「薬師如来」と書かれていました。
対潮楼 (福禅寺)
福禅寺は、福山市鞆町にある真言宗大覚寺派の寺院です。山号は桃林山、本尊は薬師如来になります。
山号は海岸山、本尊は千手観音になります。
創建は古く平安時代、空也によると伝えられています。
現在の本堂と隣接する客殿の対潮楼は、江戸時代、元禄年間に建立されたものだそうです。
対潮楼は、江戸時代、朝鮮通信使を迎える迎賓館として使用されていたそうです。
石垣の上に福禅寺は建てられています。
本堂(写真下)、そして本堂の右側に隣接して対潮楼が建っています。
下の写真は、対潮楼から、小島の弁天島その後ろの仙酔島を見たものになります。
下の写真は、対潮楼の内部、床の間になります。
いただいた御朱印には、「観音堂」と書かれていました。
明王院
明王院(みょうおういん)は、福山市草戸にある真言宗大覚寺派の寺院です。福山市を流れる
芦田川の西岸、愛宕山の山腹にあり、隣接して草戸稲荷神社があります。
山号は中道山、本尊は十一面観音になります。
寺の縁起によりますと、創建は大同二年(807)、弘法大師の開基により建てられた常福寺が
始まりと伝えられています。江戸時代に明王院と合併し、寺号を明王院としたそうです。
境内には石段を登っていきますと上に、山門があります。
本堂は、鎌倉時代、元応三年(1321)に建立されたもので国宝に指定されています。
本堂には、平安時代の作と言われ国の重要文化財に指定されている本尊の木造十一面観世音菩薩
立像が安置されています。
本土の隣にある五重塔は、南北朝時代の貞和四年(1348)に建てられたもので、同じく国宝に
指定されています。
いただいた御朱印には、観音様のいるお堂「大悲閣」と書かれていました。
草戸稲荷神社
草戸稲荷神社は、明王院の隣、芦田川沿いにある稲荷神社です。
寺の沿革案内によりますと、創建は大同二年(807)、明王院開基の弘法大師空海が明王院の鎮守
として祀ったのが始まりになるそうです。
祭神は、保食神、宇加之魂神、大己貴神の3神で、周囲に20社近い稲荷神社を末社として祀っています。
現在の社殿は近年、コンクリート構造物で再建されたものになります。拝殿が一階、本殿は最も上になります。
本殿からは福山市中心部を一望することができます。