松島 瑞巌寺・五大堂・円通院 御朱印めぐり
松島は、宮城県仙台湾の北側にある松島湾一帯の総称で、松島丘陵が地震などで沈降してできた
溺れ谷に、大小260あまりの島が点在する景勝地で安芸の宮島、天橋立と並ぶ日本三景の一つに
数えられている観光名所です。
この記事では、JR松島海岸駅周辺、瑞巌寺、五大堂、そして庭園で知られる円通院を徒歩で巡る
御朱印めぐりを紹介します。
瑞巌寺
瑞巌寺は、松島海岸駅から徒歩7,8分、松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
山号は松島青龍山、本尊は聖観音菩薩になります。
寺の沿革によりますと、創建は天長五年(828)、慈覚大師円仁により開かれた延福寺(後に円福寺)
が始まりと言われています。
江戸時代に入って、伊達政宗が衰退していた円福寺の復興を思い立ち、慶長九年(1604)から
十四年にかけて国宝の桃山建築様式の本堂をはじめとする伽藍整備を進めたそうです。
海岸沿いを通る国道45号線を進み、松島中央広場の信号を左折するとすぐに総門になります。
総門は、慶長十四年(1609)、伊達政宗によって建立されたものです。
中央の扁額には海辺に建つ禅の林(寺)「桑海禅林」と書かれています。
総門をくぐりますと参道がまっすぐに伸びています。
参道の右手の道沿いには洞窟群があります。
これら洞窟群は、納骨や供養のために、 鎌倉時代から江戸時代にかけて掘られたものだそうです。
拝観受付から入りますと、本来は正面の幅が39mもある堂々とした国宝の本堂が見えてきますが、
現在平成の大修理中、平成21年から28年春まで非公開になっています。
写真は、本堂に隣接する同じ国宝の庫裡になります。
庫裡は禅宗寺院の台所になりますが、存在感ある大きな建物で、彫刻などが施されています。
現在、庫裡の裏にある大書院であった所が仮本堂になっていて、こちらで、本尊の“聖観音菩薩”など
を真じかで見ることが出来るようになっています。
訪れたのが5月末、本堂手前の大きな杉の木の高所(写真下)に、鳥が種を運んだであろう岩や樹木に
着生する性質があるという日本蘭の一種“石斛(せっこく)”が、ちょうど薄いピンクの花を咲かせていました。
いただいた御朱印は、本尊の「聖観音」と書かれていました。
五大堂
瑞巌寺の総門を出て、国道45号線を渡ると中央広場、その目の前に現れるのが松島の景観を代表する
「五大堂」になります。
伝承によりますと、創建は大同二年(807)、坂上田村麻呂がアテルイを大将とする東北軍と
戦った時、毘沙門堂を建立したのが始まりだそうです。そして、瑞巌寺の開山でもある円仁が
五大明王像を安置したことから「五大堂」と呼ばれるようになったそうです。
なお「五大堂」は寛永十三年(1636)、瑞巌寺の管理下に入ったそうです。
現在のお堂は、慶長九年(1604)伊達政宗が瑞巌寺の再建に先だって建立したもので、東北地方
最古の桃山建築になるそうです。
五大堂は松島湾に浮かぶ小島に建てられたもので、すかし橋 と呼ばれる朱塗りの橋を渡っていきます。
この橋は、橋げたの隙間から海が見えるようになっていて、五大堂へ渡る際に足元を見て気を引き締め
ていくように、隙間をつくってあるそうです。
なお「五大明王」と書かれた五大堂の御朱印は、瑞巌寺の方でいただくことになります。
円通院
瑞巌寺の南側に隣接してあるのが、臨済宗妙心寺派のお寺“円通院”です。伊達政宗の孫にあたる
19歳で亡くなった伊達光宗の菩提寺で、創建は正保四年(1647)、本尊は聖観音菩薩になります。
本堂「大悲亭」は、光宗公の江戸の納涼亭であったもので、こちらに解体移築した江戸時代初期
の建物だそうです。
円通院は、庭の見事さで知られています。本堂の前庭は小堀遠州作と伝わる心字池を配した名庭で、
苔が禅寺の趣をつくっています。
山門から入るとすぐの所には、松島湾内に実在する七福神の島を表現した石庭があります。
本堂の東側には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラが描かれている厨子を
所蔵することから「ばら苑」がありますが、バラはまだ固くつぼみを閉ざしていました。
いただいた御朱印には、本尊の「聖観世音」と書かれていました。