深大寺・国領神社 御朱印めぐり
この記事は、「深大寺そば」で有名な深大寺を中心に、布田駅近くにある「千年乃藤」で知られる
国領神社を巡る御朱印めぐりを紹介しています。
深大寺
調布駅からバスに乗ると10分程度で深大寺に到着します。深大寺行きの他、三鷹駅行きや吉祥寺駅
行きなどバス便に恵まれているのが深大寺です。
深大寺は、調布市深大寺元町にある天台宗別格本山の寺院です。
山号は浮岳山、本尊は阿弥陀三尊像になります。
「深大寺」の名称は、仏法を求めて孫悟空などを連れ、天竺(インド)を旅した中国の僧、玄奘三蔵
を守護したとされる神、「深沙大王(じんじゃだいおう)」にちなむといわれています。
深沙大王堂(写真下)には、玄奘三蔵と向かい合って、鬼神姿の深沙大王像が描かれている
十六善神図が掲げられているそうです。
寺の歴史案内によりますと、深大寺の創建は天平五年(733)、満功上人が、父が母をめとるために祈願し、
願いをかなえてくれた“深沙大王”をこの地に祀ったのが始まりだそうです。
東京都内では、浅草寺に次ぐ古刹になるそうです。
山門は、江戸時代の初期に建てられたもので、深大寺で最も古い建物になります。
山門をくぐると正面に本堂が見えます。本堂の本尊は「宝冠阿弥陀如来」になります。
現在の法堂は、大正年間に再建されたものになるそうです。
訪れたのが4月末、本堂の横にある「なんじゃもんじゃ」の木が、雪が積もったように白い花を
つけていました。
本堂の左奥、一段上った所にあるのは元三大師堂(写真下)です。
元三大師は、比叡山延暦寺の中興の祖とも言われる慈恵大師良源僧正の別名になります。
良源僧正は正月三日に入滅され、元月三日の大師様、通称「元三大師」と呼ばれるようになったそうです。
慈恵大師・良源は、角のある鬼の姿に化して疫病神を追い払ったと伝えられ、「角(つの)大師」
「厄除け大師」など、様々な別称でも呼ばれていて、広い信仰を集めています。
江戸時代は、この元三大師堂が深大寺の信仰の中心だったといわれています。
お堂の中には、厨子に納められた元三慈恵大師の大像が納められていますが秘仏のため見ること
はできません。元三大師堂では、「元三大師」の御朱印をいただくことが出来ます。
元三大師は観音様の化身とも言われていますが、元三大師堂には「如意輪観音」が安置されていて、
如意輪観音の御朱印もいただくことが出来ます。
境内西側には、白鳳時代に作られたという椅子に腰掛けた姿の“釈迦如来像”が安置されている釈迦堂
(写真下)があります。
釈迦堂は、昭和五十一年に釈迦如来像を安置するために建てられたもので、造りは鉄筋コンクリート、
この地は湧水が出る湿気の多い土地柄、高床式で建てられているそうです。
深大寺でいただける御朱印は、この「白鳳仏」の御朱印が基本となるようです。
梵鐘は、永和二年(1376)に鋳造されたもので、都内では3番目に古いものになるそうです。
深大寺のあたりは湧水がでる所が多くあり、境内にも湧水源があります。
湧水を利用した不動堂の横にある「不動の滝」は小さいながらも「東京の名湧水」のひとつに
選定されています。
深大寺近くでは昔から蕎麦をつくり、“深大寺そば”が有名です。
蕎麦を打ったりゆでたりするのに水は不可欠、またそば粉を製粉するには水車も使われていたようです。
“深大寺そば”は、江戸時代には将軍家にも献上されたと伝えられるほどで、参道のお店も、平日という
のに多くの蕎麦を食する人でにぎわっていました。
国領神社
国領神社は、深大寺から徒歩20分ほど、京王線布田駅からは徒歩五分程度の調布市国領町にある神社です。
社の由緒によりますと、古代は多摩川のほとりにあったという國領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・
杉森神明社)の二社を合祀した神社だそうです。
旧名称の「第六天社」は、薬師寺(現常性寺)の管理下にあったころ、薬師如来を守護する十二神将の
第六番目の第六天神を祀っていたことから来ているそうです。
明治の初めの神仏分離令の時に、“神産巣日神”を主祭神にし、また明治八年に国領神社と改称したそうです。
国領神社の御神木は“藤”になります。樹齢は400年から500年になるそうですが、人々が畏敬の念を
込めて「千年乃藤」と呼んでいるそうです。
藤棚の高さは40m、面積は400平方メートルもあり、藤の木はまっすぐ上に伸び、そして下がって
きてたな一面に広がっています。
訪れたのがちょうど満開の4月28日、境内は藤の甘い香りに包まれていました。