楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

東京 蔵前から浅草 御朱印めぐり
地域:

浅草寺・浅草神社・鳥越神社・牛嶋神社 御朱印めぐり

 

浅草は、浅草寺(せんそうじ)の門前町として発展し、江戸時代から江戸随一の繁華街として賑わってきました。

この浅草の南に位置しているのが蔵前です。

江戸時代、この蔵前には、全国から集まった江戸庶民の食料や武士の給料としての米が保管された米蔵が
多数、設置されました。

そこに札差と言わる商人が登場、米の流通を担い、多額の手数料収入を得るとともに、貸金業まで営み、
大富豪が多数生まれたことで知られています。

浅草、さらには北に続く吉原遊郭などの発展は、この蔵前の興隆による面も大きかったのではと推察されます。

 

この記事では、この蔵前から浅草にかけての御朱印めぐりを紹介しています。

 

 

鳥越神社

 

JR浅草橋駅で降り、北へ7,8分行った蔵前橋通り沿い、鳥越2丁目にあるのが鳥越神社です。

社伝によりますと、鳥越神社の創建は、大和武尊が東国平定の折、白鳥と呼ばれていた当地に滞在して
いたことを偲び、651年、村民が白鳥明神を創祀したことが起源だそうです。

 

 

鳥越神社

 

 

鳥越神社は有名な“鳥越まつり”で知られています。

鳥越まつりは、鳥越神社の例大祭として毎年6月の中ごろに行われます。この祭の特長は

“鳥越の夜祭り”と称される提灯行列と“千貫神輿”と呼ばれる都内最大の巨大神輿です。

朝、神社を出た千貫神輿は各町内の担ぎ手に次々と橋渡しされ、夜になって神社に戻ってきます。
このときの宮入が鳥越の夜祭と言われるもので、幻想的な光景は東京の下町の初夏の風物詩になっています。

 

鳥越神社ご朱印

 

 

第六天榊神社

 

鳥越神社から蔵前通りを東に進み、江戸通りとの交差点を南西に200メートルほど入った所にあるのが、
第六天榊神社です。

社伝によりますと第六天榊神社の創建は、景行天皇の御代、日本武尊が皇祖二柱の神を祀ったことに
始まるといわれています。

 

サカキ神社

 

この日本武尊がお祀りした神様が、『第六天榊の大神』です。

この神様は、天照大神の祖父母になり、健康長寿と家内安全をつかさどっているということです。

こちらでいただいた御朱印には、「鶴は千年、亀は万年」と言われるように縁起ものの“鶴と亀”が
緑色に押印されています。

健康長寿を願う『第六天榊の大神』に由来しているものと思われます。

 

榊神社朱印

 

ちなみに、鶴と亀はどの程度長生きするのか調べてみましたが、鶴で30年、亀で50年程度のようです。
でも、烏が10年程度の寿命と言われますから、やはり、長生きの動物といえそうです。

 

 

浅草寺 

 

第六天榊神社から、隅田川の川べりの遊歩道を東京スカイツリー見ながら北へ登っていくこと15分ほど
で浅草に到着です。

 

スカイツリー

 

寺の縁起によりますと、浅草寺は、628年、隅田川で漁をしていた兄弟が、川で観音様の像を見つけたそうです。
それを当地の郷司であった土師真中知という方が“聖観世音菩薩”様であることを知り、やがて出家し僧となり、
この観音様をお祀りしたのが始まりと言われています。

そして、大化の改新が起こった645年、勝海上人がこの地にこられ、観音堂を建立したことが開基と言われて
います。

特に江戸時代は徳川家に重んじられ、浅草寺は、観音霊場として多くの参拝客を集め、浅草はその門前町と
して発展してきたわけです。

 

雷門

 

浅草寺の表参道入口となる門が、浅草の顔ともいうべき“雷門”になります。

雷門の左右には、それぞれ雷神像、風神像が安置され、正式には『風神雷神門』と言いますが、
普通は“雷門”と呼ばれています。

 

雷門

 

 

宝蔵門

 

混雑する仲見世の商店街を抜けた所にあるのが宝蔵門です。

門の左側に阿形像右に吽形像という二対の仁王像を安置していることから、かつては「仁王門」と
呼ばれていたそうですが、昭和39年に再建された後は、門の上層部が宝蔵物の収納庫になり、宝蔵門
と称するようになっています。

 

宝蔵門

 

本堂

 

宝蔵門を抜けると正面に、屋根が驚くほど高くそびえる本堂になります。

ここには、秘仏本尊聖観世音菩薩などが祀られています。

 

本堂

 

五重塔

 

以前の五重塔は、本堂と同様、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失、現在の塔は昭和三十八年に
鉄筋コンクリート造りで再建されたものになります。尚塔の高さは48mになります。

 

浅草寺五重塔

 

 

影向堂

御朱印は、本堂の左側に位置する影向堂でいただきます。

観音さまの説法や活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆(ようごうしゅう)」とび、
これらの仏さまをお祀りしているお堂が影向堂です。

 

影光堂

 

浅草寺でいただける御朱印は、まずは本尊の“聖観世音菩薩”になります。

 

浅草寺本尊朱印

 

そして、坂東三十三観音菩薩札所、十三番札所としての“ご詠歌”です。

 

浅草寺ご詠歌1

 

それに、影向堂に祀られている“九尊佛”の御朱印になります。

 

浅草寺九尊佛朱印

 

そして浅草七福神の一つ“大黒天”の4つになります。

 

浅草寺大黒天朱印

 

 

浅草神社

 

本堂の右横、東側にあるのが“浅草神社”です。

 

浅草神社鳥居

 

浅草神社は、明治の神仏分離令により、浅草寺とは別法人になった神社です。浅草寺の起源となった
漁師の兄弟二人と土師真中知郷司、この三人を“三社権現”と称し、神として祀ったのが三社権現社、
浅草神社の始まりだそうです。

 

浅草神社

 

浅草神社が、『三社さま』と呼ばれ親しまれているのも、この三人の神様を祀ったことに由来するそうです。

また、毎年5月の中頃には、有名な『三社祭』が盛大に行われます。

 

浅草神社朱印

 

牛嶋神社

 

牛嶋神社(うしじまじんじゃ)は、浅草の反対側になる隅田川の東岸、言問橋のたもと、隅田公園に隣接する
墨田区向島一丁目にある神社です。

 

牛嶋神社入口

 

 

祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと) 天之穂日命(あめのほひのみこと) 貞辰親王命 (さだときしんのう
のみこと)
3柱になります。

社の案内によりますと、貞観二年(860慈覚大師が御神託によって須佐之男命を郷土の守護神として勧請した
のが始まりになるそうです。

昔、本所一帯は「牛嶋」と呼ばれていて、その鎮守として尊崇を集めてきてるようです。

 

 

牛嶋神社本殿

 

 

牛嶋神社朱印

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