東京浅草 浅草寺 御朱印めぐり
浅草は、浅草寺(せんそうじ)の門前町として発展し、江戸時代から江戸随一の繁華街として
賑わってきました。
現在も、下町情緒あふれる東京の名所として、東京見物のコースにはなくてはならない所にな
っています。
また隅田川越しに東京スカイツリーを間近に見ることができるロケーションに、若い人にも
人気のスポットが浅草です。
浅草寺
浅草寺は、台東区浅草にある東京都内最古の寺院で、浅草そのものが浅草寺の門前町として発展
してきたわけです。現在でも仲見世(写真下)をはじめ、浅草は多くの参拝客、観光客で賑わっています。
寺の縁起によりますと、浅草寺は628年、隅田川で漁をしていた兄弟が、川で観音様の像を見つけ
たそうです。
それを当地の郷司であった土師真中知という方が“聖観世音菩薩”であることを知り、やがて出家し
僧となり、この観音様をお祀りしたのが始まりと言われています。
そして大化の改新が起こった645年、勝海上人がこの地にこられ、観音堂を建立したことが開基と
言われています。
浅草寺の山号は金龍山、本尊は、「聖観世音菩薩」になります。
特に江戸時代は徳川家に重んじられ、また観音霊場として多くの参拝客を集め、浅草が発展して
きたようです。
現在も東京都内では、唯一の坂東三十三観音霊場の第13番札所として信仰を集めています。
特に「浅草観音」や「浅草の観音様」と通称され、歌にも歌われたり広く親しまれているのが
浅草寺です。
雷門
浅草寺の表参道入口となる門が、浅草の顔ともいうべき“雷門”になります。
雷門の左右には、それぞれ雷神像、風神像が安置され、正式には『風神雷神門』と言いますが、
一般には“雷門”と呼ばれています。
宝蔵門
混雑する仲見世の商店街を抜けた所にあるのが宝蔵門です。
門の左側に阿形像右に吽形像という二対の仁王像を安置していることから、かつては「仁王門」と
呼ばれていたそうです。
昭和39年に再建された後は、門の上層部が宝蔵物の収納庫になり、宝蔵門と称するようになっています。
本堂
宝蔵門を抜けると正面が、屋根が驚くほど高くそびえる本堂(観音堂)になります。
ここには、秘仏本尊聖観世音菩薩などが祀られています。
以前の本堂は、昭和二十年の東京大空襲で焼失、現在の本堂は昭和三十三年に再建されたもので、
鉄筋コンクリート造りになります。
五重塔
以前の五重塔は、本堂と同様、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失、現在の塔は昭和三十八年
に鉄筋コンクリート造りで再建されたものになります。尚塔の高さは48mになります。
二天門
本堂の東側に建つ切妻造の八脚門が、門の左右に持国天と増長天の二天を安置する二天門になります。
本来は、戦災で焼失した東照宮に至る門として建てられたものだそうです。
建立は、江戸時代初期の元和四年(1618)で、戦災で焼け残った貴重な建造物になります。
なお、二天門にかかる扁額は、三条実美の筆によるそうです。
影向堂
御朱印は、本堂の左側に位置する影向堂でいただきます。
観音さまの説法や活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆(ようごうしゅう)」とび、
これらの仏さまをお祀りしているお堂が影向堂です。
浅草寺でいただける御朱印は、まずは本尊の“聖観世音菩薩”になります。
次は坂東三十三観音霊場、第十三番札所としての“御詠歌”になります。
「深きとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草にまいる 身なれば」と書かれています。
観音さまの温かい「慈悲」のお心を頂いたような気がします。
そして影向堂に祀られている“九尊佛”の御朱印になります。
また影向堂内には浅草七福神の内の大黒天をお祀りしており、この“大黒天”の御朱印もこちらで
いただくことが出来ます。
浅草神社
本堂の右横、東側にあるのが“浅草神社”です。
浅草神社は、明治の神仏分離令により、浅草寺とは別法人になった神社です。浅草寺の起源となった
漁師の兄弟二人と土師真中知郷司、この三人を“三社権現”と称し、神として祀ったのが三社権現社、
浅草神社の始まりだそうです。
浅草神社が、『三社さま』と呼ばれ親しまれているのも、この三人の神様を祀ったことに由来するそうです。
毎年5月の中頃には、有名な『三社祭』が盛大に行われます。