伊奈波神社・金神社・岐阜大仏 岐阜市内御朱印めぐり
岐阜市は濃尾平野の北端、清流長良川の扇状地に開けた斎藤道三と織田信長の城下町として発展
してきたところです。
岐阜駅前には、織田信長の金色の銅像も建っています。
この記事では、徒歩でも可能な岐阜市内寺社をめぐる御朱印めぐりを紹介します。
金神社
金神社は、JR岐阜駅から平和通りを北へ徒歩で12,3分、岐阜市金町にある神社で、古くから
金運、財運にご利益が高い神社として知られています。
創建は、社の由緒によりますと、大変古く成務天皇五年(135)、物部臣賀夫城命が国府をこの地におき、
金大神を篤く崇敬されたのが始まりになるそうです。
また主祭神である渟熨斗姫命は景行天皇の第六皇女で、伊奈波神社の主祭神五十瓊敷入彦命の妃に
なるそうです。
渟熨斗姫命は、私財を使い町を開拓し、産業・農業の発展に寄与され、岐阜の街の繁栄の基を造られた
神様だそうです。
渟熨斗姫命の功績を慕い人々が集まり、財をもたらす神として信仰されるようになり、この地に金大神
と称され祀られたそうです。
社殿は、震災や太平洋戦争で焼失、現在の社殿は、昭和六十三年(1988)の再建になるそうです。
いただいた御朱印には、神紋の五七桐が金神社ならではのきれいな金色で押されていました。
伊奈波神社
伊奈波神社は、金神社から北東へ徒歩20分ほど、岐阜市伊奈波通りにある美濃国三宮になる寺院です。
主祭神は、垂仁天皇の第一皇子の五十瓊敷入彦命であり、社の紹介によりますと、五十瓊敷入彦命は、
内政、土木、軍事などあらゆる面で秀でた業績を上げられたそうです。
創建は景行天皇十四年、稲葉山(金華山)の地(丸山)に祀られたのが始まりになるそうです。
また天文八年(1539)、斎藤道三が稲葉山城を居城とするにあたり、稲葉山城の鎮守として、
現在の地に遷座したそうです。
大鳥居をくぐり境内に入ります。
神橋を渡り、階段を上った所に建つのが楼門になります。
楼門の先の一段高い所に建つのが神門になります。一般の参拝は、この神門からになります。
神門の先に本殿や拝殿があります。
岐阜善光寺
岐阜善光寺は、伊奈波神社の入り口横にある真言宗醍醐派の寺院です。山号は愛護山、本尊は
善光寺如来になります。
寺の縁起によりますと、戦国時代、武田信玄が信濃善光寺から善光寺如来(阿弥陀三尊仏)を
持ち出し、それが信長により岐阜へ運ばれ、秀吉により京都へ、家康により浜松へそして信濃
善光寺に戻ったそうです。
岐阜善光寺の詳細な創建年は不明とのことですが、織田信長の孫にあたる織田秀信が、善光寺如来
が祀られていたこの地に伊奈波善光寺堂を建立し、善光寺如来の分身を祀ったのが、寺の始まりだそうです。
江戸時代の初めから岐阜善光寺堂を管理する安乗院が、今日でも善光寺安乗院として、本尊の善光寺如来を
護っているそうです。
いただいた御朱印にも「善光寺如来」と書かれています。
善光寺の横には、安乗院の弘法堂も建っています。
岐阜大仏 (正法寺)
正法寺は、善光寺から徒歩で5分ほどの岐阜市大仏町にある黄檗宗の寺院です。
山号は金凰山、本尊は釈迦如来、日本三大仏の一つにも数えられることがある「岐阜大仏」と
して知られています。
下の写真は、岐阜大仏が安置されている大仏殿になります。
正法寺は江戸時代の初めの創建になるそうですが、岐阜大仏は、1700年代の終わり、正法寺の第11代
惟中和尚が、相次ぐ大地震や大飢饉で亡くなった人々の菩提をともらうために、大釈迦如来像の建立を
計画、各地を托鉢して回り、38年もの歳月をかけて、天保三年(1832)に完成させたものになるそうです。
大仏の高さは13.63m、大銀杏を直柱として、木材で骨格を作り、竹と粘土で仏像の形を作り、
法華経や観音経などの経典が書かれた美濃和紙を張り付け、漆を塗り金箔を貼って作ってあるそうです。
また胎内には、薬師如来が祀られているそうです。
惟中和尚の心を映したものか、優しさに満ちた慈悲深いお顔が印象的な大仏様です。
また大仏殿の左右の壁際には羅漢像が並び、壁には、インドの経典の内容を描いたという珍しい図柄
の彫刻が飾られていました。
いただいた御朱印には、「釈迦如来」と書かれていました。