大船観音寺・常楽寺・龍寶寺 御朱印めぐり
鎌倉市の北西部に位置する大船は、鎌倉街道、東海道の交通の要所であり、鎌倉時代からの古刹が残る所です。
この記事では、「大船」の地名にもなったといわれる常楽寺からスタートし、大船駅の目の前にそびえる
大船のシンボル的な存在「大船観音」、そして龍寶寺をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。
常楽寺
常楽寺は、大船駅から南東方向へ徒歩15分、鎌倉街道にほど近い所にある臨済宗の寺院です。
鎌倉幕府第3代執権、北条泰時の墓所として知られる古刹です。
山号は粟船山、本尊は阿弥陀三尊像になります。山号の粟船山(ぞくせんざん)は、
「あわふねやま」とも呼ばれ、これが「大船」の語源ともなったという由緒ある寺院です。
寺の歴史によりますと、創建は嘉禎三年(1237)、北条泰時が夫人の母の追善供養のために建てた
「粟船御堂」に始まるそうです。
宝治二年(1248)、北条時頼の招きで宗の僧蘭渓道隆が当寺に入り、中国風の禅宗を示す道場と
して発展したそうです。
山門(写真下)は、17世紀ごろの建立になる萱葺屋根の建物です。
仏殿(写真下)は、元禄時代(1691)の建立で、阿弥陀三尊像の他蘭渓道隆像が安置されています。
文殊堂も江戸時代前期の建立で、蘭渓道隆ゆかりの厨子入りの文殊菩薩像が安置されています。
いただいた御朱印には、文殊堂の本尊である“大聖文殊菩薩”と書かれていました。
なお仏殿の右奥には、上下段差のある池がつながる「色天無熱池」があります。
“色天”は欲界の汚れを離れた清浄な世界、無熱池は炎熱の苦しみのない池、禅宗風の作庭になるそうです。
大船観音寺
大船観音寺は、東海道線で大船駅に差し掛かるといやでも目に飛び込んでくる大船のシンボル的存在
の「白衣観音」が建つ曹洞宗の寺院です。
寺の歩みによりますと、大船観音は、「観音信仰の普及により世相の浄化の一助に」という願いの基に
昭和4年に地元有志の発起により建設に着手したそうです。
しかい折からの世界恐慌などで建設は中断、昭和32年に再度起工、昭和35年に高さ25メートルの半身の
観音像として完成をみたそうです。
そして昭和56年、「信仰の場への移行」という要望に応え、曹洞宗大船観音寺として県の認証を受け
今日に至っているそうです。
参拝したのが4月2日、境内は桜の花が満開を迎えていました。
いただいた御朱印は、本尊“白衣観音”と書かれていました。
境内には、子供を抱いた素朴な姿の「子育て地蔵」が建っていました。
龍寶寺
龍寶寺は、大船駅から西へ徒歩15分程度の鎌倉市植木にある曹洞宗の寺院です。
山号は陽谷山、本尊は釈迦如来になります。
創建は文亀三年(1503)、玉縄城主の北条綱成によって開基されたと伝えられています。
山門は、趣ある萱葺きの建物で、元禄年間ごろに建立されたものだそうです。
山門から本堂までほぼまっすぐに参道が続きます。
本堂は、昭和26年に火災で焼失、現在の本堂は昭和34年に再建されたものだそうです。
いただいた御朱印は、“南無釈迦牟尼仏”と書かれていました。
「ご本尊(釈迦如来)に心から帰依します」ということかとおもいます。
参道の脇には、「旧石井家住宅」と呼ばれる建物が保存されています。
この建物は元禄時代に建てられた農家を、こちらに移築したものだそうで、国の重要文化財に指定されています。