成田山 新勝寺 御朱印めぐり
新勝寺は、真言宗智山派の総本山で山号が成田山になります。
JR成田駅、京成成田駅から北へ歩いて10分程度で行くことが出来ます。
成田のお不動様と呼ばれるように本尊は不動明王、歌舞伎の成田屋・市川團十郎、海老蔵など多くの人々
が江戸の昔から参詣する霊場です。
特に、市川團十郎は成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打った
ことなどもあって、成田不動は庶民の信仰を集めるようになり、成田山詣でが盛んになったということです
家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多く、初詣には日本第2位となる300万人近い
参拝客が訪れる関東有数の寺院です。
護摩祈祷とは不動明王の前に炊かれた御護摩の炎の中に、護摩木と呼ばれる薪を入れ願い事が叶うよう、
清めながら祈ることを言います。護摩祈祷とは弘法大師により伝えられた、真言密教秘伝の修法になるわけです。
開山は天慶2年(939)、平将門の乱平定の為、朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正が弘法大師自らが刻眼
したという不動明王像を持って関東に下り、成田の地で戦乱が鎮まるよう御護摩を焚いて祈願されたのが
始まりと言われています。
またその時に、「新たに勝つ」ということで、新勝寺と名付けられたそうです。
境内は驚くほど広く、新旧のさまざまな建造物が並んで、庶民の信仰の場の雰囲気を残しています。
また境内の東側およそ半分は成田山公園になっています。
伽藍は江戸中期~末期の建築が多く、特に仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂の5棟が国の重要
文化財に指定されています。
境内の入口に立つのは総門です。総門は、平成18年(2006)に、開基1070周年記念事業として建てられたものです。
仁王門は、参道から大本堂へ至る急な階段の途中に建つ入母屋造の八脚門で江戸時代の建立になります。
仁王門をくぐり、石段を上りきった正面に建つのが本尊不動明王像を安置する大本堂になります。
現在の本堂は1968年に建てられたものです。
本堂では、成田山新勝寺の本尊“不動明王”の御朱印がいただけます。
大本堂の裏手の庭には“36童子の像”が立っています。
大本堂の手前右手に建つのが、正徳二年(1712)に建てられた三重塔です。
大本堂左手の広場に建つ入母屋造の仏堂が釈迦堂になります。この釈迦堂は、安政五年(1858)に建て
られた旧本堂になります。
釈迦堂には、釈迦如来や観音菩薩などが奉安されていますが、こちらでは“釈迦如来”の御朱印をいただく
ことが出来ます。
釈迦堂前の高台には、出世稲荷が佇んでいます。
こちらのお稲荷さんは、古くから「出世稲荷」と呼ばれ、
商売繁盛、開運成就、火伏せの御利益があると厚く信仰されているそうです。
こちらでは、「荼枳尼天尊」の御朱印をいただくことができます。荼枳尼天尊(だきにてんそん)は、白狐
に乗る天女の姿で現れる仏教の神様です。
日本では稲荷信仰と習合し、寺院の稲荷鎮守社では荼枳尼天尊を本尊として祀っているところが多いようです。
因みに参拝は、合掌、一礼になります。また沢山の”あぶらげ”が奉納されていました。
大本堂左裏の階段を上った所にあるのが、文久元年(1861)に建てられた奉納された絵馬を掲げる
ための建物“額堂”になります。
額堂のさらに先に建つ入母屋造の仏堂は、光明堂になります。この建物は、元禄十四年(1701)に
建てられた旧・旧本堂になります。
光明堂には、愛染明王や大日如来などが祀られていて、“大日如来”の御朱印をいただくことが出来ます。
境内北奥には、昭和59年建立の真言密教の象徴である“平和の大塔”(高さ58m)が存在感を持って
そびえています。
平和の大塔でも御朱印をいただくことができます。
御朱印は、墨刷毛で書かれた立派なものです。本尊の不動明王を表す梵字で「カンマン」と書かれているようです。
また平成30年になるそうですが、平和の大塔の隣には、薬師如来を本尊とする“薬師殿”の建立が予定されています。
現在平和の大塔の1階には、離れた地にある薬師堂の本尊である“薬師如来”が十二神将などと共に、仮安置されています。
こちらで、「薬師如来」の御朱印をいただくこともできます。
平和の大塔の前には、成田山公園が広がっています。公園の中には、滝もかかっていました。