多賀大社・彦根寺社 御朱印めぐり
彦根市は、譜代大名井伊家が藩主を務めた彦根藩の城下町として発展してきた所です。
この記事では、井伊家と関係が深く五百羅漢を祀る天寧寺 、そして滋賀縣護國神社、また多賀町にある
多賀大社を巡る御朱印めぐりを紹介します。
多賀大社
多賀大社は、滋賀県多賀町にある神社です。
祭神に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の2柱を祀っていて「お多賀さま」の名
で親しまれている神社です。
この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められた神様になり、我国の国土や天照大神をはじめ
とする八百万の神々を産まれた命の親神であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神
として信仰を集めているそうです。古事記には、国生みや神生みをすべて済ませた伊邪那岐命は、
多賀のこの地に鎮座したことが記されているそうです。
江戸時代には、多賀講が全国に広がり「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と
歌われたそうです。
境内に入るとすぐに『太閤橋』と呼ばれる石の太鼓橋があります。
母の延命祈願など当社への信仰が篤かったといわれる豊臣秀吉、その祈願成就の寄進により造られた
ものの一つが太閤橋になります。
太閤橋を渡るとすぐに御神門、その先は玉砂利がひかれた広い境内、そして堂々とした風格を持つ
社殿が見えてきます。
社殿は火災などにより何度か建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものになります。
天寧寺
天寧寺は、彦根駅から徒歩で15分ほどの、彦根市内を一望できる里根山の中腹にある曹洞宗の寺院です。
創建は文化8年(1816)、11代彦根藩主井伊直中が、不義をとがめ成敗してしまった腰元とその子の
菩提を弔うために創建したといわれます。
腰元の不義の相手が自分の息子と知った直中公は自らの行いを悔い、本尊になる観世音菩薩をつくり、
また、名工駒井朝運に500体の羅漢像を彫らせ、二人の母体をともらったと伝えられています。
このように天寧寺は、井伊家のプライベートな寺であり、桜田門外で暗殺された井伊直助の供養塔
も境内に建立されています。
下の写真は、井伊直弼公の好みで作られたと言われる石州流庭園越しにみた彦根市内になります。
いただいた御朱印には、「五百羅漢」と書かれていました。
滋賀縣護國神社
滋賀縣護國神社は、彦根駅から徒歩10分程度の彦根城址内にある神社です。
下の写真は、護國神社の横から見た彦根城になります。
戊辰戦争から第2次世界大戦までの滋賀県内の戦没者を祀っている神社になります。
創建は明治九年(1876)、元彦根藩主井伊直憲の主唱により建立された神社です。
境内には、下の写真のように様々な戦いで亡くなった戦没者を慰め、平和を祈願する碑が建てられている神社です。
切妻で凛とたたずむ清楚な社殿(拝殿、本殿)も、滋賀県護國神社ならではのたたずまいを見せていました。
また、水戸市から送られたという拝殿前にある「夫婦梅」が花を咲かせ始めていました。
この梅は、彦根藩主大老井伊直助が桜田門外の変で水戸浪士により暗殺された後冷え込んでいた彦根と
水戸の仲直りを記念して、水戸から送られてきたものだそうです。
いただいた御朱印には、「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」という
昭和天皇がつくられた歌が神楽の舞姫と共に押されていました。