太宰府天満宮・観世音寺・水天宮・高良大社 御朱印めぐり
この記事では、太宰府の太宰府天満宮、観世音寺に参拝、久留米の水天宮、高良大社を巡る御朱印めぐりを紹介します。
太宰府天満宮
太宰府天満宮へは、西鉄福岡駅から急行に乗ると15分ほどで二日市駅に到着、ここで西鉄太宰府線に
乗り換えるとおよそ5分で太宰府駅に到着です。
駅を降りればそこはもう天満宮の参道、両側に並ぶ土産物屋や名物の梅が枝餅の甘く香ばしい香りに
気をとられながら歩けば、ほどなく天満宮に到着です。
創建は、平安時代の905年、道真の墓の上に祀廟が建てられ、919年には勅命により社殿が建立されました。
その後、道真の無実が証明され、『天満大自在天神』の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるように
なったわけです。
道真の墓どころである太宰府天満宮は、全国におよそ12,000社あると言われる天神さまをお祀りする神社
の総本宮として、信仰を集めています。
天満宮の境内にはいるとすぐ左手に、藤原氏により、太宰府に左遷されられることになった道真が、住み慣れた京の
紅梅殿の梅を見て「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」とうたった歌の碑が建っています。
太宰府天満宮は、池が漢字の“心”という字で形造られている“心字池”を通って本殿へと進んでいきます。
心字池にかかる橋は、太鼓橋、平橋、太鼓橋の順に並び、それぞれ過去、現在、未来を表しているそうです。
橋を渡ると楼門になりますが、この楼門は太鼓橋側と本殿側で形状が異なる珍しい門です。
楼門を抜けると、すぐに本殿になります。
本殿の右前には、道真を慕って京から一夜にして飛んできたと言われる“飛梅”の木が、御神木として
たたずんでいます。
訪れたのは、2月末、飛び梅は満開の花をつけていました。
観世音寺
観世音寺は、天満宮から西へ徒歩15分の所にある天台宗の寺院です。 山号は清水山、本尊は聖観音になります。
開基は天智天皇で、創建は天平十八年(746)、九州を代表する古寺になります。
その後、天平宝字五年(760)、鑑真和上により戒壇院が設けられ、僧になる者がわざわざ奈良の都に行かずとも、
観世音寺で戒律を授かることが出来たそうです。東大寺並びに下野の薬師寺と並び「天下三戒壇」の一つとされ
たそうです。
入口から参道を北へ進み、やや小高くなった正面に講堂(本堂)が建っています。現在の講堂は、元禄元年(1688)に再建されたものになります。
講堂の手前には、金堂が建っています。現在の金堂は、寛永八年(1631)に再建されたものになります。
この他、東側に奈良時代に造られたという梵鐘(国宝)、鐘楼があります。
この梵鐘は、日本最古の梵鐘の一つに数えられているそうです。
いただいた御朱印には、「聖観世音」と書かれていました。
なお寺の西側には、隣接して戒壇院があります。
現在の戒壇院は、観世音寺とは別法人になっており、宗派も臨済宗になるそうです。
境内には、鑑真和上の供養塔も建っていました。
残念ながら、御住職が不在で御朱印はいただくことができませんでした。
高良大社
高良大社は、御井町のバス停から徒歩で30分ほど、福岡県久留米市御井町高良山にある筑後国一の宮になる神社です。
高良大社のある高良山は標高312メートルと比較的登り易い山で、散策やハイキングに訪れる人も多いそうです。
高良大社の創建は、履中天皇元年(400)と伝えられる古社になります。
祭神には、高良玉垂命、八幡大神、住吉大神を祀っていて、厄除け・延命長寿をはじめ、交通安全などの神様
として信仰が篤い神社です。
現在の社殿は、江戸時代の初め、久留米藩第3代藩主有馬頼利の寄進で建てられたもので国の重要文化財に指定
されています。
御井町のバス停で降りるとすぐに、明暦元年(1655)に建てられた石造りの大鳥居が目に入ります。
大鳥居から300メートルほど歩いた所に、神様が手を洗われたと伝わる御手洗池があります。
さらに100mほど進むと第二鳥居、これから本殿まで石段が続く山道を20分ほど登っていくことになります。
本殿の前には、安永六年(1777)に建てられた中門と透塀があります。
なお霧で写真ではよくわかりませんが、中門の先にある本殿・弊殿・拝殿は、万治二年(1659)に建て
られた大きな建物です。
水天宮
水天宮は、福岡県久留米市瀬下町にある全国の水天宮の総本宮になる神社です。
祭神に、天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、安徳天皇の母)、二位の尼
(安徳天皇の祖母、平清盛の妻)を祀っています。
壇ノ浦の戦いで入水した二位の尼と共に安徳天皇の母、建礼門院につかえていた伊勢という官女が
源氏の追手を逃れ、筑後川のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年代)に、安徳天皇
と平家一門の霊を祀る祠を設けたのが水天宮の始まりだそうです。
そして慶安三年(1650)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在の地に社殿が整備されたそうです。下の写真は本殿になります。
古来から農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いとともに、特に“子供の守護神、安産の神”として、
また除災招福の神として信仰を集めているそうです。
境内脇を流れるのは筑後川(写真上)です。毎年5月5日春大祭の御神幸祭時には、境内脇の船着き場から
御座船に御神輿を安置し船上にて祭典が行われるそうです。