華厳寺・横蔵寺 御朱印めぐり
西国三十三所観音霊場の第33番札所、満願結願の寺として知られる華厳寺、そして華厳寺から
数キロの所にある伝教大師最澄が比叡山延暦寺の本尊薬師如来と同じ木から造ったといわれる
薬師如来を本尊とする横蔵寺、この二つの天台宗の古刹を巡る御朱印めぐりの旅を紹介します。
華厳寺
華厳寺は、岐阜県揖斐川町にある天台宗の寺院です。
山号は谷汲山、本尊は十一面観音で西国三十三所観音霊場の第33番札所、満願結願の寺として信仰を集めています。
寺の縁起によりますと、華厳寺の創建は、延暦十七年(798)で開祖は豊然上人、本願は大口大領になるそうです。
奥州の豪族であった大口大領が信仰する十一面観音の尊像を京の都から故郷へ持ち帰る途中、突然尊像が重く
動かなくなり、この地こそが結縁の地であろうと山中に草庵を結び、豊然上人の助けを得て像を安置したのが
華厳寺の始まりになるそうです。
また「谷汲山」という山号は、寺付近の岩穴から油が湧き出し、灯明用の油に困らなかったことに由来するそうです。
華厳寺は皇室の信仰が厚く、醍醐天皇(885-930)は谷から湧き出る油を灯明に用いた事にちなんで「谷汲山」の山号、
そして「華厳寺」の扁額を下賜されたそうです。
また西国観音霊場巡礼中興の祖とされる花山法皇(968-1008)は、西国三十三所の霊場を巡幸され、
華厳寺を第33番札所の満願所と定め、御禅衣(笈摺)と杖、そして三首の御詠歌を奉納されたそうです。
総門の近くの駐車場に車を止め、左右にソメイヨシノの桜並木が続く参道(写真上)を10分ほど歩くと
仁王門に到着します。
仁王門から本堂まで静かな参道を歩くと突き当りが石段、その上に本尊の十一面観音を安置する本堂があります。
本堂の中、向かって右手に納経所があります。
本堂に向かって左奥に隣接するのが笈摺堂です。
花山法皇が禅衣(笈摺)を奉納したといわれ、笈摺堂には今も西国三十三所巡礼を終えた人々が奉納した笈摺が置かれ、
多数の千羽鶴が奉納されています。 千羽鶴は折鶴(おりつる)が笈摺(おいずる)にちなむことから奉納され
始めたそうです。
笈摺堂を出て、階段を三十三段上った先に建つ堂が十一面観音を安置する満願堂になります。
華厳寺では、花山法皇が詠まれた三首の御詠歌にちなんだ三つの御朱印がいただけます。
この三つの御朱印とは、本堂(大悲殿)、満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ現在・過去・未来を意味しているそうです。
まずは本堂の御朱印、「大悲殿」になります。
次は満願堂の御朱印、「満願堂」とお堂名が書かれています。
そして笈摺堂の御朱印、「笈摺堂」とお堂名が書かれています。
なお、現在・過去・未来それぞれの御詠歌は次のようになります。
(現在) 世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも消えぬなりけり
(過去) 万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より出る谷汲
(未来) 今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる美濃の谷汲
横蔵寺
横蔵寺は、華厳寺から数キロの岐阜県揖斐川町にある天台宗の寺院です。山号は両界山、本尊は薬師如来になります。
谷あいにあり、紅葉の名所として有名でまた「美濃の正倉院」とも呼ばれように多くの文化財を所蔵している寺
として知られています。下の写真の赤い橋、「医王橋」あたりは、秋には一面、紅葉で朱に染まるそうです。
寺の案内によりますと、創建は延暦二十年(801)、開山は比叡山を開いた天台宗の宗祖伝教大師最澄であり、
本尊の薬師如来は、比叡山延暦寺の本尊と同じ木から造られたものになるそうです。
参道を入っていきますと山門になる檜皮葺の楼門(仁王門)があります。
楼門の先の石段を上った所に、寛文十一年(1671)に建てられた本尊の秘仏薬師如来を安置する本堂があります。
本堂の前には、同じ江戸時代初めに建てられた三重塔がありますが、現在修理中で写真に収めることはかないま
せんでした。
なお、本堂の御朱印は「薬師如来」になります。
本堂から舎利堂に向かう途中には、観音堂(写真下)があり、観音堂では「十一面観音」の御朱印をいた
だくことができます。
観音堂から清流「飛鳥川」を渡り、瑠璃殿に向かいます。
瑠璃殿には、重要文化財に指定されている大日如来像や深沙大将像をはじめ多くの仏像が所蔵され、公開され
ています。
また瑠璃殿の隣にある舎利堂(写真下)には、横蔵出身の妙心上人の「舎利仏」すなわちミイラ化した遺体が、
昔のまま、自然のままに安置されています。
妙心上人は、仏道の修行のために諸国を巡り、文化十二年(1815)山梨県の御正体山の洞窟で、断食し
「即身成仏」して仏になられた方だそうです。
明治の初めには山梨県が管理していたましたが、明治天皇が天覧された折、「故郷へ戻すよう」にとの
お言葉をいただき、出生地の横蔵寺に祀られることになったそうです。
私も、妙心上人のミイラ(即身仏)に接し、手を合わさずには居られませんでした。