久能山東照宮・静岡浅間神社・清見寺 御朱印めぐり
この記事では、静岡市にある静岡浅間神社、久能山東照宮、そして清見寺を巡る御朱印の旅を紹介しています。
静岡浅間神社
静岡浅間神社は、静岡市葵区にある神社です。
静岡浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の独立した三社からなり、「静岡浅間神社」は
その総称になるそうです。
社の由緒によりますと、神部神社は約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座し、
平安時代には駿河国総社となった古社になり主祭神には大国主命の別名になりますが、大己貴命を祀っています。
浅間神社は延喜元年(901)、富士山本宮より分祀され木花之佐久夜毘売命(浅間大神)を祀っています。
下の写真は、神部神社、浅間神社の正面にある楼門になります。
大拝殿(写真下)は、神部、浅間両神社の共通の拝殿で、文化十一年(1815)に建立されたもので、
「浅間造」の代表的な建物になります。
静岡浅間神社の社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、その多くが国
の重要文化財に指定されています。
こちらでいただける御朱印の一つは、「浅間神社」になります。
境内の一番南にあるのが大歳御祖神社です。
大歳御祖神社は、今から1700年ほど前に、古代この地方の物流拠点、商業の中心地であった「安倍の市」
の守護神として、大歳御祖命を祀った神社だそうです。
社務所の方で、「大歳御祖神社」の御朱印もいただいてきました。
久能山東照宮
久能山東照宮は、世界遺産、三保の松原にほど近い太平洋に面した静岡市駿河区の標高216メートルの
久能山にある神社です。
主祭神は、徳川家康(東照大権現)で、家康は晩年を駿府(静岡)で過ごし、亡くなった後、この地
に埋葬されています。創建は元和三年(1617)2代将軍秀忠によって社殿が造営されています。
本殿まで1159段という長い表参道の石段を909段上った所にあるのが一の門(写真下)になります。
下の写真は、一の門から南側を見たものですが、眼下に広がるビニールハウスは、この地域の名物、
イチゴの栽培ハウスになります。
さらに百数十段の階段を上った所に楼門があります。
楼門の二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇陛下御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく)
が掲げてあり、勅額御門とも言われています。
拝殿の前にある門が唐門になります。唐門の周囲は“透塀”になっています。
国宝に指定されている社殿(拝殿や本殿)は、当時の最高の技術を結集した「権現造」で建てられていて、
日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮の原型になるものだそうです。
下の写真は、拝殿、そして拝殿を飾る彫刻になります。
本殿の裏にあるのが、徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟です。
三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられ、現在に至っています。
なお久能山東照宮は日本平とロープウェイで結ばれていて、楼門近くまで階段を上らずにいくこともできます。
清見寺
清見寺は、静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は巨鼇山、本尊は釈迦如来になります。
寺の由緒によりますと、創建は今からおよそ1300年前の白鳳年間になるそうです。
東北の蝦夷に備えて、海に面し陸地の狭いこの地に清見関と呼ばれる関所がおかれ、その傍らに仏堂が建立
されたのが始まりだそうです。
鎌倉時代に関聖上人により禅寺として再興され、足利氏や今川氏の帰依をうけ発展してきたたそうです。
仏殿は、天保年間に改築されたもので、重層入母屋造りの建物です。
方丈の裏手にある庭園は、江戸時代初期に造られたもので、国の名勝に指定されています。
書院には、明治天皇御成りの間が「玉座」として保存されていました。
仏堂の西側には、江戸時代中期に彫像されたという素朴な“五百羅漢石像”が、静かにたたずんでいました。
いただいた御朱印には、「佛心」と書かれていました。
下の写真は、東名高速道路富士川サービスエリアから見た 富士山です。