白雲神社・魯山寺・清浄華院 御朱印めぐり
厳かなたたずまいを見せる京都御所、緑に覆われた京都御苑の周辺は、平安時代から多くの公家の屋敷
があった所です。
この記事では、西園寺家や三条家などと関係の深い神社や紫式部の邸宅址と言われる魯山寺など御所
周辺の御朱印めぐりを紹介しています。
下の写真は、京都御所御門の一つ「建礼門」になります。
白雲神社
白雲神社は、京都御所の建礼門にほど近い京都御苑内にあります。
旧西園寺家の鎮守社で、祭神に“妙音弁才天”とも言われる“市杵島姫命”を祀っていて、「御所の弁天さん」
また「音楽の神様」として知られる神社です。
鎌倉時代の初め、西園寺公経(藤原公経)が、妙音堂というお堂を建てたのが始まりだそうです。
西園寺家は、琵琶の宗家のため、そのお堂に“妙音弁才天”、“市杵島姫命”を祀ったようです。
いただいた御朱印の中央には、見事な“琵琶”の印が押されているのが印象的です。
こちらで願をかける絵馬にも“弁才天”と“琵琶”の絵が書かれてました。
梨木神社
梨木神社は、京都御所の右隣にある明治維新に貢献した三條実萬、三條実美父子を祭神として祀る神社です。
社の由緒によりますと、実萬公は、菅原道真公の生まれかわりと崇められ、当時の人々から今天神様と称せ
られたといわれ、早くから王政復古の大義を唱えられていた人だそうです。
創建は明治十八年(1885)、社名は当地の地名「梨木町」からとったものだそうです。
境内は、京都御所の森と梨木通りに挟まれた閑静な所にあり、およそ500株の萩が植えられていて、
別名「萩の宮」とも呼ばれています。
拝殿(写真上)、そして本殿(写真下)が厳かにたたずんでいます。
いただいた御朱印の右上にある「唐菱花」の神紋は、三条家の家紋になるそうです。
魯山寺
魯山寺は、梨木神社の隣、梨木通りを挟んだ所にある天台宗の寺院です。
天慶元年(938)に、延暦寺中興の祖である元三大師良源が開基した寺で、本尊は阿弥陀如来になります。
参道正面に位置するのは元三大師堂で、本尊は元三大師良源になります。
寺のホームページを拝見しますと、こちらが紫式部の邸宅跡になります。また源氏物語や紫式部日記は
ほとんどこの地で執筆したそうです。
魯山寺の境内にあったと言われる紫式部の邸宅は、式部の曽祖父、権中納言藤原兼輔が建てたものであり、
式部はこの邸宅で育ち、結婚生活を送り一人娘の賢子を産み、長元四年(1031)五十九歳で死去したそうです。
境内には、有名な『めぐりあいてみしやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな』の歌碑
が建っています。
この歌は、つれない男を想う恋の歌かと思っていましたが、聞く所によりますと、久しぶりに会った
のに早々と帰ってしまった幼友達の女性を、夜半に沈む月にたとえ、心から惜しんで詠んだ歌なのだそうです。
御朱印は、“紫式部邸宅址”と“元三大師”のものとの2枚をいただいてきました。
角大師は、2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵である。伝説によると、
良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像になるそうです。
角大師の像は魯山寺に限らず、“魔除けの護符”として、毎年正月に新しいものを戸口に貼るのが
習わしになっているようです。
清浄華院
清浄華院は、魯山寺から梨木通りを北へ100メートルほど行った所にある浄土宗の寺院です。
浄土宗八大本山の一つであり、本尊の一つは法然上人、そしてもう一つは阿弥陀如来になります。
寺の沿革案内によりますと、貞観二年(860)、時の天皇である清和天皇の勅願により、天台宗の
慈覚大師円仁が宮中に禁裏内道場として建立したのが寺の始まりになるそうです。
そして平安末期、後白河天皇は、「念仏を称えることこそが唯一の救いの道である」と説く法然
上人の教えに感動され、参内の宿舎とされていた当院を法然上人に賜りました。
これによって清浄華院は浄土宗に改められ、以後念仏道場としての道を歩むことになったそうです。
現在地に移転してきたのは戦国時代末期の天正年間(1573~1592)になるそうです。
境内には御影堂や阿弥陀堂、大方丈や不動堂などが並んでいます。
大殿とも呼ばれる御影堂(写真下)には、本尊の法然上人座像が安置されています。
大方丈(写真下)には、平安時代の恵心僧都作と言われる本尊阿弥陀如来座像が安置されています。
いただいた御朱印には、「法然上人」と書かれていました。