法多山・油山寺・可睡斎 遠州三山 御朱印めぐり
旧遠江の国、現在の袋井市にあり遠州三山とよばれる、法多山 尊永寺、医王山 油山寺、そして萬松山 可睡斎の
三古刹巡る御朱印の旅を紹介します。
法多山 尊永寺
法多山 尊永寺は、静岡県袋井市豊沢にある高野山真言宗の別格本山になる寺院です。
寺号の「尊永寺」よりも山号の「法多山」の名で広く親しまれ、本尊は厄除正観世音菩薩になります。
本尊厄除正観世音菩薩は、厄除開運の御利益が高いとして、古くから「厄除観音」と呼ばれているそうです。
創建は神亀二年(725)で、開基は聖武天皇の命を受けた行基になるそうです。
土産物屋が並ぶ参道を抜けると堂々と構えた仁王門があります。
仁王門は、室町時代に建てられたもので、重要文化財に指定されています。
仁王門から本堂までは300メートル近く参道が続きます。
参道の途中には、5分ほどに開いた桜と、盛りを迎えた“ミヤマつつじ”が鮮やかなピンクの花を咲かせていました。
“厄除観音”として知られる法多山の名物は“厄除けだんご”、境内の中ほどには、厄除けだんごを製造・販売する
だんご茶屋があります。訪れたのがお花見の季節、この季節に限定販売される“桜だんご”を求めて長い列ができていました。
だんご茶屋の先には弁才天堂、その横にはただ一つの願い事を熟願すれば成就するといわれる
“一願一意の不動明王像”があります。
弁才天堂の近くから100段近い石段を上った所に、正観世音菩薩を安置する本堂があります。
現在の本堂などは江戸時代に焼失、その後1983年に再建されたものです。
いただいた御朱印には、厄除け観音霊場 「大悲殿」と書かれていました。
油山寺
油山寺は、袋井市村松にある真言宗智山派の寺院です。山号は医王山、本尊は薬師如来になります。
寺の由緒によりますと、創建は大宝元年(701)、行基が薬師如来を祀って開山したと伝えられています。
また寺名の「油山寺」は、この地から油が湧き出したことにゆらいするそうです。
天平勝宝元年、孝謙天皇が目の病気にかかった時、本尊薬師如来に祈願し、境内にある『るりの滝水』(写真下)を
加持した所、天皇の目の病が全快されたそうです。
以来、目の守護、眼病平癒の寺として篤く信仰されているそうです。
山門は、掛川城の門を移築して江戸時代初期に建てられたもので、重要文化財に指定されています。
薬師本堂は、山門から川に沿って上流に向かい7,8分、途中“るりの滝”を観賞しながら長い階段を上った所にあります。
本堂は建久元年(1190)、源頼朝が目の病全快のお礼に奇進したと伝えられています。現在の建物は江戸中期に再建
されたものになります。
こちらには、秘仏の本尊薬師如来が安置されています。
薬師本堂の御朱印は、「目の霊山 瑠璃光」と書かれた御朱印になります。
本堂の前にある三重塔も源頼朝が目の病全快のお礼に建立したと伝えられているもので、重要文化財
に指定されています。
山門に続く礼拝門をくぐった本坊正面に建つ真新しい仏殿は、本尊に不動明王を祀る宝生殿になります。
宝生殿では、「身代わり不動尊 不動明王」の御朱印をいただくことが出来ます。
可睡斎
可睡斎は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺院で、東海随一の禅の修行道場だそうです。
山号は萬松山、本尊は聖観音になります。
創建は応永年間(1394-1428)、恕仲天誾禅師によって開山された寺になります。
寺の案内によりますと、可睡斎の名称は、文字通り「眠り」に由来するそうです。浜松城主であった徳川家康が、
旧恩に感謝しようと当時の住職を招いたところ、その席上で和尚がいねむりを始めたそうです。
それを見た家康は、自分の前で安心して眠る住職を見てその親密な情を喜んだそうです。
それ以来、住職は「可睡和尚」と言われ、寺号も「可睡齋」に改め、今日に至っているとのことです。
可睡斎では座禅会が開かれていて、誰でも坐禅を体験できます。坐禅は、心地よい眠りを得るために効果があるそうです。
本堂(写真下)には、本尊聖観音が安置されています。
いただいた御朱印には、“聖観音”と書かれていました。
本堂脇から石段を上った所に建つ御真殿(写真下)には、1300ほど前に観音様の化身として信州に出現した
という“火災消除”に霊験あらたかな「秋葉三尺坊大権現」が祀られています。
秋葉寺から1873年に遷座されたそうで、以来可睡斎は、全国より“火災消除”の信仰を集めているそうです。
こちらでいただいた御朱印には、「三尺坊」と墨書きされていました。
境内の西の端にある山上には、インド、ガンダーラ様式でたてられた日清・日露などの戦争で亡くなった人の
霊を鎮める護国塔が立っています。