興福寺 御朱印めぐり
近鉄奈良駅から、若草山の方向に大通りを歩いていくとおよそ五分で、興福寺につきます。
興福寺は、南都六宗の一つ「法相宗」の大本山となる寺院で、本尊は釈迦如来になります。
寺伝によりますと、興福寺の起源とされるのは“山階寺”です。
山階寺は、669年、藤原鎌足の夫人、鏡女王が夫の病回復を祈願して造営したのが始まりで、藤原氏の氏寺になります。
和銅三年(710)の平城遷都の時に、鎌足の子である藤原不比等により、現在の地に移されるとともに“興福寺”と
名付けられたそうです。
寺の最盛期には、建物の数が175もあった大寺で、鎌倉・室町時代には、幕府は大和の国には守護をおかず、
興福寺がその任にあたっていたそうです。
興福寺には、有名な五重塔や東金堂(写真上)を始め、天平文化を代表する阿修羅像などを安置する国宝館が
あり、また薪御能や節分の鬼追いなど古来の日本文化を伝える行事が多く残っています。
御朱印は、境内にあるいくつかのお堂でいただくことが出来ますが、興福寺を代表するのは『興福力』の御朱印
になります。“興福力”は、寺名の由来となった“維摩経”の一節「福力を興さしむ」から来ています。
中金堂
中金堂は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するために、和銅3年(710)の平城京遷都直後に造営が始められた
寺の中心的な堂になります。
中金堂は、創建以来たびたび焼失と再建を繰り返してきましたが、現在創建当時の姿を再現した新・中金堂の
再建が始まっています。現在お堂はありませんが「中金堂」の御朱印を威阿多抱くことができます。
現在あるのは仮金堂で、昭和50年に薬師寺の旧金堂を移築したものになるそうです。
中には、本尊の釈迦如来像などが安置されています。
東金堂
東金堂は、中金堂の東側にある金堂です。神亀三年(726)に聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って薬師三尊像を
安置する堂として創建したそうです。現在の建物は、室町時代に
再建されたもので、国宝に指定されています。
東金堂には、本尊薬師如来や国宝文殊菩薩像などが祀られていて、「西国薬師第四番札所」になっています。
いただいた御朱印には、『東金堂』とお堂名が記されています。
北円堂
興福寺の創建者になる藤原不比等の一周忌にあたる養老五年(721)、当時の天皇から長屋王が命じられて建立
されたのが北円堂です。
現在の堂は承元二年(1208)に再建されたものですが、興福寺に現存する建物の中では最も古いものになります。
法隆寺夢殿と同じように、平面が八角形の“八角円堂”で国宝に指定されています。
鎌倉時代に建てられましたが、創建当時の姿を残しているとのことです。
堂内には、国宝の弥勒如来坐像や四天王立像などが安置されています。
なお北円堂では、御開帳の時にだけ、期間限定で御朱印をいただくことが出来ます。
南円堂
南円堂は、弘仁四年(813)藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈って建てた八角円堂です。
現在の建物は、寛政元年(1789)に再建されたものです。
堂内には、本尊である不空羂索観音が祀られていて、西国三十三観音霊場の第九番札所になっています。
こちらでは、「南円堂」と書かれた御朱印をいただくことが出来ます。
また南円堂では、「猿沢の 池のほとりの寺庭に 瑠璃の光は あまねかりけり」とうたわれている御詠歌入り
の御朱印をいただくことができます。
国宝の五重塔(写真下)は、天平二年(730)、光明皇后の発願で創建されたものです。
現在の塔は応永三十三年(1426)に再建されたものになります。
なお南円堂の裏には、鎌倉時代に建てられたという三重塔(写真下)があり、こちらも国宝に指定されています。
国宝館では、三面六臂の貴公子然とした“阿修羅像”をはじめ、定慶作と言われ“金剛力士像”や“千手観音立像”など
多数の宝物が公開されており、見応え十分ですので拝観されると良いとおもいます。