熊野本宮大社・熊野速玉神社・熊野那智大社・青岸渡寺 めぐり
熊野三山とは、本宮(熊野本宮大社)・新宮(熊野速玉神社)・那智(熊野那智大社)の三社のことをいい、その参拝道の総称を熊野古道と言います。
熊野は、日本書紀にも登場するように、古くから自然崇拝の地であったようです。907年の宇多法皇の熊野行幸から始まり、白河上皇は9回、後白河法皇は33回も熊野行幸をされたと伝えられています。なお、熊野三山は、詣でるほどに御利益が高まると言われています。
熊野三山の信仰は、平安時代から江戸末期にかけて盛んで、上皇から庶民にいたるまで、熊野古道には旅人の切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの人々が熊野に参詣したということです。
熊野古道には、田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野へ向かう小辺路(こへち)、さらには伊勢から熊野へ通じる伊勢路などの「熊野参詣道」があります。
私も、福を求めて2回目の熊野詣で、前回は伊勢神宮に参拝した後、車で伊勢路ルートを通っての参拝でしたが、今回は大阪天王寺を朝8時の特急に乗り、11時に白浜着、白浜でレンタカーを借り、白河上皇や後白河上皇が通ったという中辺路ルートを通り、熊野三山への参拝に行ってきました。一日目は、那智勝浦の温泉に宿泊、2日目は、熊野古道の難所、大日峠越えに挑戦、一日目と同じ中辺路ルートで白浜に戻り、16時の特急に乗り、夜10時過ぎには、横浜の自宅に帰ってきました。
発心門王子から熊野本宮大社へ
熊野本宮大社の無料駐車場に車を止め、本宮大社前から発心門王子行きの路線バ
スに乗り、坂道を20分ほど登った所が終点の発心門王子です。熊野古道には、
大阪を起点に熊野権現を祭祀した王子が100近くあったそうですが、現存する
所は、発心門王子の他、わずかになっているそうです。「発心門」とは、仏の道
に帰依する心を発する入口(門)という意味で、ここからが熊野本宮大社の神域
になるそうです。現在も朱に塗られた小さな社殿がありますが、これは平成に入
り復元されたものだそうです。
発心門王子から本宮大社まではおよそ7キロ、素朴さが残る熊野の美しい山里を
たどっていく道で、アップダウンも少なく、年配の方でも歩きやすいコースです。
快調に水呑王子を過ぎ、伏拝王子にやってくると、ここから大斎原の大鳥居を見
ることが出来ます。中辺路ルートでは、ここで初めて熊野本宮を見ることになり
ます。熊野詣でにやってこられた白河上皇や後白河法皇も、やっとたどり着いた
安堵の思いとかたじけなさに伏して熊野本宮に接した?ことを想像しながら、
茶店でコーヒーを一杯いただいた次第です。
写真の大斎原の大鳥居は、さらに三軒茶屋を越え、少し長めの坂を上ったところ
の展望台からの眺めになります。ここからは下り坂、祓戸王子に着くともう目の
前が本宮大社になります。およそ2時間足らずの熊野古道散策でしたが、手軽に
古道の風情を感じられるコース、お薦めです。
熊野本宮大社
熊野本宮大社は熊野三山の中心で、全国に3000社以上あると言われる熊野神社の
総本宮になります。熊野三山では、八咫烏(やたがらす)が目を引きます。
八咫烏は熊野権現の使いで三本足の烏です。九州から大和に入る神武天皇を先導
したという言い伝えがあり、日本サッカー協会のシンボルマークとしてお馴染みと
思います。サッカー協会は、きっと金メダルへの先導役をお願いしているのでは
と思います?ちなみにヤタ烏の三本足の真ん中は、熊野の豪族“鈴木”、全国一多い
と言われる鈴木姓の発祥の地は、こちらとか聞いています。
鳥居をくぐり、杉木立のなかを進むと道の両脇には「熊野大権現」と書かれた
奉納幟が立ちならんでいます。
158段の石段を登りきると、正面に神門があり、向かって左手のほうには真新しい
礼殿が見えてきます。神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かっ
て左から第一殿・第二殿の相殿、第三殿、第四殿と3棟並んでいます
本宮大社は、古来から明治22年(1889年)8月の水害時まで、熊野川・音無川・岩
田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあ
りました。今は、写真のように大きな鳥居がその名残をとどめています。
千数百年続いた地を明治なって立ち退くことになったことを不思議に思い調べま
したが、どうもその原因は、上流における森林伐採にあるようです。
自然破壊、環境破壊に対する思いを新たにした旅でした。
熊野速玉大社
熊野速玉大社は、本宮から熊野川沿いを車で40分ほど下った河口、千穂ヶ峰の
北東麓に鎮座する朱塗りの神殿があでやかな神社です。参道にある“なぎの樹”は、
清盛の嫡男、平重盛の手植えと言われ、樹齢1000年、日本では最大のなぎの
樹ということです。またなぎは熊野権現の御神木になっています。境内では、
なぎの苗木も売られていました。
参道を進むと、朱塗りの神門が見えてきます。
神門のなかに入ると、朱塗りの瑞垣。その向こうにやはり朱塗りあでやかな社殿
が横に5棟並んでいます。まだまだ真新しく見える社殿は昭和に再建されたもの
だそうです。
熊野那智大社
那智大社に向かい上り坂がきつくなり始める所に、大門坂の無料駐車場があります。
ここに車を止め、石畳の熊野古道、大門坂を徒歩で登り切ったところに、熊野那
智大社が鎮座します。大門坂自体は600メートルほどの階段、那智大社へは、
さらに土産物屋などが並ぶ参道の階段を400メートルほど登っていきます。
駐車場は、大門坂の上にもありますから、階段がきつい方は、上まで車で行く方
がよいと思いますが、大門坂の石段は一度歩いてみたいとっておきの熊野古道の
ように思います。
熊野那智大社のご由緒によりますと、「神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸
されたとき、那智の山が光輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神として
おまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入り
になった」ということです。
また「那智大瀧」を、この熊野の地に住む人々も神武天皇の東征以前からすでに
神として奉祀されていたとも伝えられています。いずれにしても古代からこの大
瀧を「神」としてあがめていたことは確かなようです。
そして社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地に移されたの
は仁徳天皇五年(317年)と伝えられています。
熊野那智大社別宮飛瀧神社
大滝の下には現在、「熊野那智大社別宮飛瀧神社」が鎮座していますが、神社と
はいっても本殿も拝殿もなく、滝を直接拝む形になります。社殿がないことから
もはっきりとこの大滝が御神体であることをしらせてくれます。かつての熊野の
自然崇拝の有り様を今に伝えている神社のひとつと思います。
ここでは、大滝まで階段を下り参拝、延命長寿のお滝水を拝飲し、しっかりと
御朱印もいただいてきました。
那智山青岸渡寺
熊野那智大社と軒を並べているのが天台宗の寺院、本尊を如意輪観世音菩薩とす
る那智山青岸渡寺です。
かつての那智は神社と仏寺とに分離できるようなものではありませんでした。
神と仏は渾然一体とし、区別できなかったそうです。明治の神仏分離令は、もと
もと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択するように
命じました。本宮も新宮も神を選び、仏を捨て、寺院は取り壊されました。
那智でも、神を選び、廃仏毀釈を行い、多くの仏寺が取り壊されたようですが、
本堂であった如意輪堂は、西国三十三所霊場の第一番札所でもあり、さすがに取
り壊しはされなかったということです。
なお青岸渡寺の創建は、仏教伝来以前の仁徳天皇の御代(313~399)にインドか
ら熊野に漂着した裸形上人による伝えられています。
那智の滝をバックにした三重塔は、那智でも最高の写真スポットになっています。
いただいたご朱印には、『普照殿』と書かれています。
「観音様のご慈悲があまねく照らされますように」ということかと思います。
また山号である那智山と記されています。
熊野古道 大日峠越え
熊野三山めぐり2日目は、本宮大社前の駐車場に車を止め、本宮跡地から大日山
を越えて湯の峰温泉へ向かう熊野古道「大日越」に挑戦してきました。
距離は2キロほどと短いですが、上り下りが急で結構な難所、足腰に不安のある
方には厳しいかもしれませんが、70歳前後の高齢者の団体の方々も杖を持ちな
がら一歩一歩、また一歩と登られておりました。
とくに、登り口から月見岡神社、峠の鼻欠け地蔵(写真下)までの登りは、これ
でもかこれでもかというように階段が続く試練の古道でしたが、その分、達成感
を満喫できたように思います。私の方は、本宮大社側から湯の峰温泉に向かいま
したが、湯の峰温泉から本宮に向かうことも可能で、こちらの登りは木の根道、
階段は少ないようですので、こちらの方が少し楽かもしれません?
到着地、湯の峰温泉は、日本最古の温泉だそうです。源泉である“湯筒”の少し上流
に小さな小屋が見えますが、その小屋のなかに“つぼ湯”があります。
ふたり入ったらいっぱいの小さな、その名の通り、壺のような岩風呂だそうです。
休日には順番待ちもできるほどのにぎわいということです。
私の方は、温泉には入らず、近くの売店でネットに入った卵を買入、湯筒で、
10分ほど温めて、ゆで卵をいただくことで、大日峠越えの疲れを癒してきました。
そして湯の峰温泉からは本宮大社行きのバスに乗り、帰ってきました。