楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

京都 平安神宮・金戒光明寺 黒谷御朱印めぐり
地域:

平安神宮・金戒光明寺・真如堂・吉田神社 御朱印めぐり

平安神宮は、明治28年に平安遷都1100年を記念して、文化芸術の町、岡崎に建てられました。
岡崎の北側にある金戒光明寺(黒谷)は、NHKの大河ドラマ;八重の桜で有名になった京都守護職松平容保率いる会津藩の本陣が置かれた寺になります。その北には、真如堂や吉田神社が構えています。

今回は、地下鉄東西線東山駅で降り平安神宮から出発、最後は吉田神社から知恩寺に至るコースで御朱印めぐりをしてきました。

平安神宮

平安神宮は、地下鉄東西線東山駅から北へ徒歩10分、京都市左京区岡崎にあり、
創建が明治28年(1895)の新しい神社です。
平安遷都1100年を記念して、平安京遷都当時の大内裏の一部を実物の8分の5の大
きさで復元したものが現在の平安神宮になります。

平安神宮は、平安京遷都を行った桓武天皇を祭神とする神社として創祀され、皇
紀2600年にあたる昭和15年に、平安京で過ごされた最後の天皇、孝明天皇が合祀されました。

南側の表参道には、高さ24.4メートルと言う大鳥居がまず目に入ってきます。

そして大きく赤く光る朱色の門が、大内裏の朝堂院を模したと言われる応天門になります。

平安神宮門

その内側に朝堂院の大極殿を模したと言われる外拝殿があります。
外拝殿は東側に蒼龍楼(向かって右)、西側に白虎楼がついています。

平安神宮5

平安神宮は、明治維新後の京都の衰退と荒廃の中で、千年以上も栄え続けた雅や
かな京都を後世に伝えるために、そして京都復興にかけた多くの人々の遺志を後
世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建された神社だそうです。
「日本文化のふるさと京都」のおや神様として京都岡崎の地に鎮座しているわけです。

平安神宮朱印

平安神宮では、京都を守る四神のお守りが授与されていて、ここでいただける御
朱印帳にも玄武、蒼龍、朱雀、白虎の四神の絵が入っています。

平安神宮帳

社の説明によりますと、一般に四神相応の地「平安楽土」とされているのは、
東に清き流れがあるのを「蒼(青)龍」、南が広く開けた湿地帯であるのを
「朱雀」、西に大きな道が続くのを「白虎」、北に高くそびえる山があるのを
「玄武」とされていて、京都では「蒼龍」が賀茂川、「朱雀」は干拓されて今は
無き巨掠池、「白虎」は山陽道(もしくは山陰道)、「玄武」は舟岡山だそうです。

金戒光明寺

 

平安神宮から北東の方向へおよそ5分、京都市左京区黒谷に金戒光明寺はあります。

光明寺山門

金戒光明寺は、山号は紫雲山、本尊は阿弥陀如来、寺名を「くろ谷さん」と呼ば
れる知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の大本山の一つです。
浄土宗を開いた法然上人が、承安五年(1175)、比叡山の黒谷を降り、浄土宗最初
の念仏道場を開かれたのがこの地になるそうです。

光明寺山門真

法然上人は、阿弥陀如来の本願は、全ての人が救われることにあるとして、『な
むあみだぶつ』と阿弥陀如来の名を唱えるという、万人がなすことが出来る念仏
で、皆浄土に行くことが出来ると『専修念仏』の教えを説かれています。

 なお大殿(御影堂)には、法然上人自らが鏡をとって修正されたと伝えられる
『御影』が所蔵されていて、毎年4月25日の法然上人の命日には、一般公開がされ
ているそうです。

光明寺本堂

NHKの大河ドラマ“八重の桜”で一躍有名になりましたが、金戒光明寺には幕末、
京都守護職松平容保率いる会津藩の本陣が置かれたところであり、新撰組発祥の
地でもあります。
当時黒谷には、大小52の宿坊があり、会津藩1,000名の駐屯のために、大方丈を始
め多くの宿坊を明け渡したと言われています。
寺には、鳥羽伏見の戦いで戦死した会津兵の墓や追悼の記念碑が建っています。
また賊軍の汚名を着せられ放置されていた遺体を子分200名を動員し収容し、黒谷
に埋葬した『侠客 會津小鉄』の墓もこちらにあります。

光明寺会津墓地

いただいた御朱印には、『浄土真宗 最初門』と記されています。
法然上人が最初に念仏道場を開いた所と言うことになりかと思います。

金戒光明寺朱印

 金戒光明寺には、三重塔が建っています。

光明寺三重塔

黒谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠の菩提をともらう為に建立
された三重の塔に安置されています。この本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作
と言われています。なおこの中山文殊は、古来より日本三文殊の一つとして信仰
を集めてきたそうです。

金戒光明寺文殊朱印

中山文殊の御朱印もいただいてきました。こちらの文殊菩薩様の像は獅子に乗っ
ておられます。押印された宝印も、火焔宝珠の中に梵字で「マン」(文殊菩薩
様)が、獅子に乗っているものです。学業成就、知恵増長にご利益がある御朱印
かと思います。

真如堂 (真正極楽寺)

 

金戒光明寺の会津藩士の墓どころ前の小道を100メートルほど北へ進むと真如堂の
裏手の道につながります。
真如堂は、正式名称を“真正極楽寺”という天台宗の寺院で、山号は鈴聲山、本尊は
阿弥陀如来になります。

真如堂本堂前参道

寺伝によりますと、永観2年(984)、比叡山の戒算上人が比叡山常行堂の本尊であ
った阿弥陀如来(慈覚大師作)を東三條女院(藤原詮子。円融天皇の女御・一條天
皇の御母)の離宮があった現在の地に移して安置したのが、真如堂の始まりにな
るそうです。
その後、一條天皇の勅願寺となり、また不断念仏の道場として、浄土宗の開祖法
然上人や浄土真宗の開祖親鸞聖人をはじめとする多くの念仏行者、多くの民衆の
厚い信仰を集め、ことに女人の深い帰依を得てきたそうです。

真如堂本堂

寺は、応仁の乱で焼失、本堂は元禄時代に再建されたものになるそうです。
また正面「真如堂」の大額は享保11年(1726)宝鏡寺宮からの寄付によるものだそうです。

 境内にはもみじの木が多く、紅葉の美しさは特別で、京都の紅葉観光の名所とし
ても知られています。本堂前の参道を覆う新緑や緑に映える三重塔も見事でした。

真如堂三重塔

いただいた御朱印には、『無量壽』と記されています。無量壽仏と言うと、一般
には阿弥陀如来のことになります。

真如堂朱印

無量壽は、浄土教の凡夫往生の信仰に大きな影響を与えたとされる教説がある大
乗仏教の経典『観無量壽経』の“無量壽”(極楽の荘厳)に関係するものと思われます。

吉田神社

 

真如堂から徒歩10分、吉田山(吉田公園)を越えた所にあるのが吉田神社です。
吉田神社は貞観元年(西暦859年)平安京の北東、鬼門を守る守護神として、藤原
山蔭が奈良の春日大社の四神を勧請したことに始まると言われ、方除け、厄除け
開運の神様として信仰を集めています。

本殿は、江戸時代初期再建の春日づくりで建てられています。

吉田神社下宮

吉田神社朱印

吉田山の中腹には、全国の神を祀るお社として『大元宮』があります。
大元宮は、室町時代の末期に吉田兼倶が創始した吉田新道(唯一神道)の根本殿
堂でもあり、国の重要文化財に指定されています。

吉田神社奥宮

知恩寺

 

吉田神社から北西におよそ10分、百万遍の交差点近くにあるのが浄土宗の大本山
の一つ知恩寺です。
知恩寺は通称百万遍と呼ばれるお寺で、山号は長徳山、本尊は阿弥陀如来になります。

知恩寺山門

寺伝によりますと、知恩寺は、浄土宗を開いた法然上人が都の人々に念佛の教え
を説かれた「賀茂のかわら屋」が前身となっていて、法然上人が亡くなった後、
その弟子である源智上人がここに住いし、法然上人の御影堂を建立、恩を知るお
寺「知恩寺」と名付けたのが始まりだそうです。

 元弘元年(1331)第8世善阿空円のとき、都に疫病が蔓延した際、後醍醐天皇の
勅命により七日七夜百萬遍の念仏を唱えたところ疫病が治まったことから「百萬
」の号が下賜され、それ以来百万遍と言う通称で呼ばれるようになったそうです。

写真の御影堂は総欅造りの荘厳なものです。

知恩寺本堂

いただいた御朱印には、法然上人の一つの大師号である『圓光大師』と記されていました。

知恩寺朱印

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