山寺・立石寺 御朱印めぐり
山寺は、正式には宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁(最澄の弟子で第三代天台座主を務める)が開いた、山形県山形市山寺にある天台宗の寺院です。比叡山と同じく、根本中堂に本尊薬師如来を安置し、伝教大師最澄が灯した“不滅の法灯”が延暦寺から分灯されています。この法灯は、織田信長の焼打にあい延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたということです。
また立石寺は、松尾芭蕉が奥の細道で詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の舞台として有名なお寺です。
今回の参拝は、8月8日、蝉しぐれが盛夏を告げる中、800段を越える階段を汗をふきふき奥の院まで登ってきました。
根本中堂
仙山線山寺駅から徒歩で5分ほどですぐに山寺、まずは根本中堂へ参拝です。
根本中堂は、立石寺全体の本堂にあたる御堂です。現在の根本中堂は延文元年
(1356)初代山形城主・斯波兼頼による再建で、ブナ材が全体の6割程用いられてお
り、ブナ材の建築物としては日本最古といわれています。
堂内には、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像が安置されてい
るとともに、最澄が灯し比叡山より分けられた法灯が灯っており、この灯りは建
立以来一千百数十年の間、一度も消えることなく守られてきているそうです。
いただいた御朱印には“法灯不滅”と書かれていました。
根本中堂の横には、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の芭蕉の句碑が建っています。
その奥に見える宝塔は、山寺を勅願寺とした清和天皇の供養塔で、当山では最も
古い石塔になります。
日枝神社
根本中堂の隣には、山寺の守護神である日枝神社があります。
日枝神社の創建は貞観2年(860)、慈覚大師円仁が山寺を開山した時に鎮守社と
して勧請されたもので、昔は山王権現と言われていました。
毎年5月17日には、山寺山王祭でにぎわいます。
いただいた御朱印には、“山寺日枝神社”と書かれています。
山門
日枝神社を過ぎると間もなく登山口山門になります。
鎌倉時代の建立といわれる山門は、開山堂などへの登山口で、大仏殿のある奥之
院までは階段が続き、石段は800段を超えるそうです。
せみ塚
山門をくぐり石段を登っていくと、“せみ塚”があります。
芭蕉の弟子たちがこの地を訪れ、往時の面影を偲び、この場所が芭蕉が「閑さや
岩にしみ入る蝉の声」句の着想を得た場所ではないかと、句をしたためた短冊を
土台石の下に埋め、塚を立てたのがせみ塚だそうです。
ここは、下の写真のように、目を閉じると蝉の鳴き声しか聞こえない所で、それ
がかえって静けさを伝えています。そしてその鳴き声もそそり立つ大岩に沁み込
んでいくような、そんな山寺ならではの風景がひろがっていました。
茶屋の人に聞きますと、この蝉の種類は、“ニイニイぜみ”という説があるそうです
が、訪れた時は8月8日、東京と同じアブラぜみとミンミンぜみの蝉しぐれが響い
ていました。
仁王門
嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、左右に安置された仁
王尊像は、運慶の弟子たちの作だそうです。
開山堂・納経堂
仁王門をくぐると左の崖の上に見えてくるのが、開山堂・納経堂になります。
百丈岩の上に立つ開山堂は立石寺の開山である慈覚大師円仁の御堂で、この御堂
が建つ崖下にある自然窟に大師の御遺骸が金棺に入れられ埋葬されているそうです。
御堂には大師の木造の尊像も安置されています。
向かって左、岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物です。
奥の院
参道の終点にあるのが「奥之院」、正式には“如法堂”になります。
正面右側の古いお堂が如法堂で、開山・慈覚大師が、中国で修行中に持ち歩いた釈
迦如来と多宝如来を本尊としています。
いただいた御朱印には、“如法堂”と書かれています。
奥の院の向かって左側の大仏殿には、像高5メートルの金色の阿弥陀如来像が安
置されていて、毎日、卒塔婆供養をおこなっているそうです。
いただいた御朱印には、“大佛殿”と書かれています。
華蔵院
山寺には、江戸時代までは、12の塔頭があり、多くの僧が修行に励んでいたそうです。
現在は、仁王門から奥の院に至る参道に、性相院・金乗院・中性院・華蔵院(写真
下)の4つの院が、その面影を残しています。
御朱印は、それぞれの院でいただけますが、下の御朱印は、本尊に慈覚大師作の
観世音菩薩を祀ると伝えられる華蔵院の”大悲殿”の御朱印になります。
本坊
山寺の下山口にあるのが、住職の住まわれる本坊になります。
こちらでも御朱印をいただくことが出来ます。
御朱印には、本尊である“薬師如来”と書かれていました。